Friday 30 June 2017

捏造の「南京大虐殺」。一次資料や現場の人間へのインタビューを読めば何が真実か用意に分かります

このレビューは左翼的かなぁ
★★★★★★


カスタマーレビュー

170 人中、62人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0 反日的ドイツに対する安倍シンパの鬱憤晴らし?2013/11/21
投稿者 
レビュー対象商品: ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?(祥伝社新書) (新書)
興味深いタイトルに惹かれて一気に読ませてもらったのだが、著者のかなり右翼チックな解説には初めから終わりまで辟易とさせられた。著者は安倍シンパであることを隠していない。しかしドイツのマスコミは安倍総理にきわめて冷たく、ほとんど年中批判ばかりしているので、著者としては無性に腹立たしく、おそらくその不満が高じてこの本を書くことになったのであろう。要するに、この本は著者の反日的なドイツ・マスコミに対する鬱憤晴らしのような他愛のない本なのであるが、著者の意図とは別にわれわれが日ごろ接する機会のないドイツ・マスコミの日本評を知る上では貴重な本である。著者にとっては憤懣やるかたないほど偏向していると思われたのかもしれないが、ここに紹介されたドイツ・マスコミの日本批判は決して著者がいうようにひどいものではない。むしろそのほとんどは冷静かつ客観的なものであり、その分析力と情報収集力は驚くほど正確である。もしこれが逆であれば、日本のマスコミが果たして遠い国(近い国でも同じだが)の政治をこれほど正しく伝えるであろうかと非常に疑問に思う。著者がドイツ・マスコミを偏向していると感じるのは、情緒的ナルシズム的なナショナリズム(著者はそれを「愛国心」だと思っているらしい)から来るものであり、日本を批判されることは即自分を批判されることだと受け取って感情的に反発しているにすぎないのではないかと思われる。

以下、本書に対する若干の疑問点を指摘しておきたい。

まず著者はドイツ・マスコミのヒステリックな報道の証拠として3,11後のドイツ人の反応を例にあげて批判しているが、おそらくこの著者は3.11原発危機の何たるかも分かっていないのではないかと思われる。3.11後、ドイツの新聞などではすぐに日本を脱出しなければというパニック報道が起こった。これはドイツ人の原発ヒステリー症の例としているわけだが、しかしあの当時、日本では何が起こってもおかしくない本物の危機があったということについて著者はまったく分かっていない。もしあのとき原子炉の冷却に失敗すれば格納容器が爆発していた可能性は非常に高くあった。もし現実にそうなっていたら、東日本一帯は数百年間人が住めない地域になっていたであろう。格納容器が爆発しなかったのはむしろ幸運な偶然の結果であり、決してその危機はなかったとはいえないはずである(いうまでもなくその潜在的危機は現在でも続いているのだが)。

次に著者は3.11をきっかけに脱原発に舵を切ったドイツ人が、こともあろうにその恐るべき事故の当事国である日本で原発再稼働派の政党が国民の圧倒的支持を集めて政権についたということを信じられないとしているのを逆に批判している。しかし3.11がきっかけで脱原発を選択したドイツを責めるのはどうかしているのではないか?あれほどの事故を起こした国で、しかもその事故がいまだ収束したとはいえない状況で、さらに世界一の地震大国でありながら、原発再稼働派に政権を渡すというのは、一体、どういう選択なのか?これは原発ヒステリーのドイツ人でなくても「日本=不思議の国」と映ってもいたしかたあるまい。

現在のドイツ人の日本批判の根底には先の戦争をいまだに自衛戦争だったとかいってごまかし加害国であったという反省と罪意識を欠如していることがドイツ人には信じられないのである。これは当然のことであろう。しかしこの著者にはユダヤ人を殺したドイツと一緒にされたくはないというのである。実際、現在の安倍総理をはじめその周辺の人物はいまだに自衛戦争論を固持しているので、安倍シンパとしては当然その方があたりまえだと思っているのであろう。

著者はドイツ人がいう南京での虐殺事件も実際には誇張であると信じているらしいのだが、その根拠として虐殺否定派の東中野氏の本をドイツ人に読ませたいなどと書いている。これには唖然とした。東中野氏の本では南京でいわゆる便衣兵の処刑が行われたことに対してハーグ陸戦規定に則り合法であったというとんでもない解釈をしている人物である。そんな本をドイツ人が読めば、これはユダヤ人の虐殺を合法だったというのとほとんど同じ理屈だとみなされるであろう。こんな論理は世界中どこにも通用しない論理であり、日本でも秦郁彦氏や北村稔氏をはじめ右派の研究家からも批判されているのをご存じないのか?ちなみに著者は従軍慰安婦問題で秦郁彦氏の研究を例にあげて世界中に慰安婦制度はあったとして日本を弁護しているのであるが、その秦郁彦氏が自著(「南京事件」中公新書)の中で日本が中国人に対して行った虐殺とナチがユダヤ人に対して行った虐殺のどちらが悪いかということは一概にいえないと明確に語っているのをご存じないのであろうか?

著者も認めるように、現在の安部政権に対する右傾化批判はなにもドイツだけではなく、アメリカにおいても厳しい批判が底流として存在し、しかもそれは民主党だけではなく共和党内にも安倍批判が強くある。その結果、現在の日本は「戦争をいまだに反省していない手前勝手な国」として世界中からみられているという事実が存在する。これは著者がいうように決して単なる周囲の誤解ではなく、むしろそれこそが世界標準であるという事実を受け入れなければ、日本はこの先も孤立を深めるだけであるということは間違いないであろう。著者にはぜひこのあたりまえの事実に気付いてほしい。
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このトピックの全投稿14件中1件から10件までを表示

最初の投稿: 2013/12/14 10:51:08 JST
ヨシオちゃんさんのコメント:
貴方が星5つを付けた本を見てみると...いやぁ実に分かりやすいですねぇ

あなたの頭の中では脱原発=正義の図式が既にあり、異論は認めないという事ですね。そもそもドイツが脱原発に付切ったという事を手放しでほめること自体が、ドイツの電力事情とを知らないからでしょう。フランスから原発の電力を輸入しておいて「脱原発」などちゃんちゃらおかしいし、陸続きで先進諸国が隣接しているドイツと海洋国家である日本を同じ視点においてドイツの優等生を誇るのは愚の骨頂。

どの人物がどういっているかではなく、1次資料を調べてみれば南京大虐殺が存在しないことは明明白白。
一、 故毛沢東党主席は生涯に一度も、「南京虐殺」ということに言及していない。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして「持久戦論」としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみ。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なこと。

二、 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置した。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によると、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されている。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なこと。

三、 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が「Documents of the Nanking Safety Zone」として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の出版社から刊行されている。それによると、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されている。この記録からすると30万虐殺など、ありえない。

四、 さらに「Documents of the Nanking Safety Zone」には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されているが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみ。その1件は合法殺害と注記されている。

五、 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の虐殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されてる。しかし、その後の科学的な研究によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっている。もし、虐殺を証明する写真が存在するのならば、提示すべき。

最後に、他国から批判があるから安倍政権は右傾化しているという批判は論外。そもそもアメリカは極右国家という事は無視ですか?
あなたは権力のある人物と寝て、それを誇る売女となんら変わりません。


投稿日: 2014/03/17 23:12:46 JST
西さんのコメント:
 今日この本を知りました。iwannoahoさんとヨシオさんのコメントを読ませて頂きました。福島原発は確かに不幸中の幸い、幸運でした。あの処理を見ていますと、日本人は(事故を防ぐ、拡大しないというような観点からする)機能的合理性を徹底できない民族だなあと思いました。違った言い方をして先の戦争を例にとれば、戦争をするのが下手ということです。事故処理が下手だということです。吉田所長さんをはじめとする多数無名の現場の人々に頭の下がる思いです。
 漏れ聞くところによると、原子炉でいまなにが起こっていのか、ではどうすればいいのかが、分かるのは、大学の原子力専門の教授などと原発をつくる東芝や日立などの専門家だけだそうです。東電は威張るけど、分からないそうです。保安院は東電よりもレベルが落ちるそうです。
 福島のことは別として、ドイツのことです。最近少しドイツの責任問題を読んでいます。私の記憶では、ドイツは自責し反省したが、日本はそうではない、という説は昔はありませんでした。ヴァイツゼッカーが大統領になったころから、そういうふう説が広まったような感じがします。数年前偶然読んだのですが、中央公論昭和38年10月号に猪木正道、林健太郎、大宅壮一の対談がありますが、そこにはドイツの傲慢ぶり、まったくの無反省が語られています。長らくああした状態だったように思います。ヴァイツゼッカーの演説もドイツの傲慢そのものです。あれは謝罪したというものではありません。
 ドイツは民族と言語は西欧ですが、その歴史は西欧史より東欧史に近いとは言われていますし、少し読んでいてそう思います。その西ドイツのアデナウワー時代、1/4が親西欧親米で、3/4は反西欧反米だったそうです。日本人の「アメリカさん」気分とは違うわけです。「なにをアメこう」というわけです。アメこうにかぎりません。アメの代わりに、イギリス、フランスをもってきていいわけです。
 ヴァイツゼッカーはドイツ人がやったことを一部のゴロツキのせいにして、一般のドイツ人は無罪だというわけです。あの演説も理解しにくいですが、ヘーゲル並みのデタラメを言っていると思います。あるポーランド人が言っていましたが、ユダヤ人に対する謝罪はあるが、それもゴロツキがやったというわけですが、一般の東欧人、ロシア人に対する謝罪はありません。またあの戦争に対する謝罪もありません。ドイツ国防軍の栄光は保たれています。
 戦後の冷戦の主たる舞台はヨーロッパ。それもドイツがその中心だったわけです。アメリカとしては、西ドイツの再軍備がぜひ必要であり、急がれたわけです。なにしろ、西ドイツ軍はつくれば、フランス軍はもちろんイギリス軍よりも強く、大いなる助っ人になるわけです。そこからドイツ国防軍は無垢、反ヒトラーだった・・・というウソと神話ができるそうです。国防軍の将軍、将校は映画ではいつもヒトラーのことを「ボヘミアの伍長」と軽蔑するわけです。だが、彼らはヒトラーの命令で動いていたわけです。
 東欧やロシア人に対するそうした罪は、たまたまそうした罪を犯したドイツ人個人個人の問題であり、ドイツ人一般のこととして扱われるべきではないというわけです。本当に立派な言説で、恐れ入ります。 
 だが、ドイツ人ほど権威主義的つまり権威に従順で、集団主義的で、反個人主義的なヨーロッパ人はめずらしいと思います。ただ、本人たちの主観では「世界に冠たるドイツ(人)」となるわけですが。
 こうした主観はドイツのロマン主義です。あの戦争についても評価しない、つまり善悪を論ずることはありません。論ずるときは、自衛戦争だとする立場をとるのが多いようです。ソ連の東欧と(東)ドイツへの進出は侵略と考えるようですね。本当に傲慢な民族だと思います。
 Documents of the Nanking Safety Zoneはインターネットか何かで読めるでしょうか。また国民党国際宣伝処の秘密文書なども本がありますか。どうしたら読めるでしょうか。


前の投稿への返答(返答日時: 2014/03/21 23:02:37 JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2014/03/21 23:15:49 JST)
julieisbestさんのコメント:
ヨシオちゃんさんへ

あなたの投稿に気づくのが遅かったので遅れましたが、以下あなたの質問(?)にランダムに返答しておきます。

脱原発について
私は一昨年夏の大飯原発のときは再稼働派でした。これは池田信夫氏の書物に対する私の書評をみてもらえれば分かると思います。あの時は原発が動かなければ必要な電力がまかなえず大停電をおこすことが危惧されました。しかし、その後原発が動かさなくても必要な電力がまかなえることがはっきりしましたので、今は脱原発派を支持しております。その理由は原発を動かすことによる潜在的リスクがあまりにも大きいからです。確かに3.11の放射能事故で亡くなった人は一人もいないかもしれませんが、これによって原発事故がたいしたことないと思うのは間違いです。3.11はむしろ幸運だったと私は書きました。最悪の場合は首都を含め東日本一帯に人が住めなくなる危険もありました。そしてこのリスクはいまでも存在しています。怖いのは津波だけではないのです。これからはむしろ直下地震の方がより危険ではないかと思います。現在の日本の原発施設は震度6強程度の地震には耐えられるように設計されていると聞きますが、それ以上の規模の地震に対する備えはされていません。つまり、それほどの規模の地震が起こると何が起きるか分からないのです。しかし、震度7を超える地震は日本列島のどこで起こってもおかしくありません。過去にも関東大震災や中部地震など震度8と想像されている地震が起こったこともあります。これは近い将来に必ず起こるでしょう。それが原発の敷地付近で起こるとどうなるのでしょうか?最悪の場合、日本という国は滅亡します。だから今のうちに一日も早く脱原発を目指さなければならない。これは当然のことです。

南京の虐殺について
>1次資料を調べてみれば南京大虐殺が存在しないことは明明白白…

一次資料の意味がまったく分かっていないのではないですか?1次資料というのは、その当時現場にいた人々が残した記録です。これは日本軍や記者、カメラマンといった人々、そして当時の国際安全区にいた少数の外国人の記録などです。ただし、中国人が残した記録や証言は必ずしも信用できませんので資料価値は低くなります。また戦後になって従軍兵士や記者らが証言したものも一次資料とはいえず、その価値は低くなります。それらはなんらかの意図によって加工されている可能性もあるからです。ただし、価値が低いからと言って価値がないのではなく、それらは二次資料として扱うべきものです。当然ながら、当時現場にいなかった者の資料は、いかなる意味でも1次資料とはいえません。

このように定義される1次資料は豊富にあり、特に秦郁彦氏が集めた日本軍兵士の従軍日誌などは最も信用性の高いものです。それらを集めただけでも大虐殺の全貌はかなり明らかになっています。また国際安全区の記録、特に安全区代表John Rabeが残した日記(「南京の真実」講談社文庫2000年)は一次資料として最も価値のあるものです。この日記資料が発見されたのは1990年代ですので、東京裁判の資料にも使われておりませんし、それ以前の研究者の資料にも含まれていなかったものです。にもかかわらず、そこに記述されている多くの断片的記録がたとえば日本の兵士達が残した日誌類や他の証言に符合することが分かります。それとこれは1次資料とはいえませんが、戦後になって語られた兵士や従軍記者、カメラマンなどの証言類を再構成してみると、そこには1次資料に符合する多くの事実が明らかになります。たとえばまぼろし派の阿羅健一氏が集めた証言集(「南京事件 日本人48人の証言」(小学館文庫 2002年)を読んでみると、そこに兵士達の一次資料やラーベの日記にも符合する事実が多く語られています。たとえば揚子江を無数の死体がながれているのをみたといううわさを聞いたとか、南京の揚子江岸の埠頭で首切りが行われていたという複数の証言など、まったく立場も動機も違いながら一致する証言が数多くみられるのです。

>「南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されている。この記録からすると30万虐殺など、ありえない」

これはまぼろし派が必ずいうことですが、ほとんど意味がありません。なぜならここには南京にいた5万人から15万人の中国兵と12月13日の日本軍の南京入城前に清野作戦(日本軍の現地徴発を断つための作戦)によって寝る場所がなくなり、南京市内に避難してきた多くの周辺住民(ほとんどは農民)の数も含まれていないからです。

>毛沢東党主席は生涯に一度も、「南京虐殺」ということに言及していない

あたりまえです。当時毛沢東は中国奥地に逃げており日本軍と中華民国軍の戦争を傍観していただけです。彼は南京で起こったことをまったく知らなかったでしょう。また蒋介石も重慶へ逃げていたので、南京の事件については一部の逃げ延びた兵士たちの断片的な証言を聞いただけで、その全貌を知ることは難しかったでしょう。

>ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らか

これもあたりまえです。当時カメラをもっている人は一部の国際安全区委員以外、南京市中にはおそらく一人もいなかったし、また虐殺は一般人のいないところで行われたので、その現場を写真に撮ることも不可能だったでしょう。当然ですが、あとからやってきた日本の従軍カメラマンもそのような写真を撮ることは許されていなかったのです。当時のカメラというのは大仕掛けな機械だったので、盗み撮りすることもできなかったのです。

>「Documents of the Nanking Safety Zone」には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されているが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみ

ラーベの日記をみても同じですが、虐殺は安全区内では行われていません。彼らはすべて人目につかないところへ連れていかれ虐殺されていますので、当然のことです。ちなみにDocuments of the Nanking Safety Zoneは一次資料とはいえませんが、ラーベ氏の資料を中心に再構成されたものであり、真相を知る上で重要な価値があることはいうまでもありません。

>他国から批判があるから安倍政権は右傾化しているという批判は論外

最近になって安倍内閣は南京の虐殺を公式に認めう発言をしています。これは勉強会で事実を知ったのか、あるいはただのポーズにすぎないのか分かりませんが、後者だとすると米国の圧力に屈したということになるのでしょう。もしそうだとすると、権力に弱いのは安倍氏自身だということになりますね。


前の投稿への返答(返答日時: 2014/03/22 0:36:42 JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2014/03/22 1:38:11 JST)
julieisbestさんのコメント:
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前の投稿への返答(返答日時: 2014/03/23 0:36:15 JST )
西さんのコメント:
 南京での虐殺がなかったなどと言うつもりはありません。あれは中国の便衣隊が一般中国人のなかに入り込み、なおかつ日本軍を攻撃したというきっかけを無視してはいけないと思います。ただ、だからといって、日本軍がやったことがすべて許されるべきだなどとも言うつもりはありません。
 当時フランスでは3万人が、アメリカでは4万人が殺されたと報じられていたようです。だから、これらの数字が正しいなどとも主張しませんが。中国は30万人だと主張します。十年ぐらい前でしょうか、日中で南京事件などを共同調査することになりました。その作業手順などを打ち合わせると、中国側が人数などは調査する必要はないなどと言いだして、結局共同調査はおこなわれませんでした。
 ドイツ人のまわりには中国人のような国民がいなくて、ドイツは幸運です。ポーランド人がドイツに2千万人殺されたとか、ロシア人がドイツに5千万人殺されたとかは言いません。昭和16年6月ドイツはソ連に攻め込むわけですが、そのとき短期間にやくロシアは捕虜を60万人出したそうです。ドイツは60万人の捕虜に場所や食料などを提供することはできませんから、囲い込んでおいて餓死させたそうです。同じようなことは昭和20年西側戦線でドイツ兵が次々とアメリカ軍などに投降するので、捕虜としてあつかうと食事とかの義務が発生するわけですし、といって、殺すわけにもいかないので、といって武器を持たしたままにするわけにもいかず、「武器を持たない敵兵」とかいった範疇のあつかいをしたということです。投降した多くのドイツ兵が死んだそうです。
 ドイツの戦争責任については、あなたとはまったく違う考えかつ評価をしています。またドイツ人が無責任な空論を唱えてと思っています。
 あの戦争処理について、戦争責任について、日本人のほうがドイツ人よりはるかに立派だったと思います。ところが残念なことに、いつのまにか、世界にはその逆が流布されているのを悔しく思います。例えば昭和20年4月鈴木内閣が成立しますが、それから8月15日の終戦敗戦に至るまでの彼らの苦労を読み理解する必要があると思います。ドイツ人などと比較にならないほど立派だと思います。
 中央公論昭和38年10(11?)月号の例の対談の一部の写しをもっていました。長いので引用がはばかられますので、ごく一部です。
猪木:反ナチ問題をもってくれば(東ドイツが)西ドイツより強いですからね。
大宅:西ドイツにはナチがおるわけですか。
猪木:おるどころじゃないですよ。官僚の九割はナチ協力者だったからですからね。ドイツにも”勝ち組”がでてきましたよ。大戦に勝ったというのではなく、火をつけたのは英仏で、ドイツは戦争を強いられた、ゆえにドイツは正しいという本がでましてね。(長いので以下私の説明です。ハーバード大学の学位をとったほどの人間で、ドイツに不利な資料は徹底的に無視して・・・。リッペントロップの妻も本を出して、亭主がどんなに平和維持のために尽くしたかをかいている。これも一つの勝ち組だ。西ドイツの重要な部署にいる元ナチ残党を論証した本もあり、恐ろしくなる。)
林健太郎:(以下趣旨要約。ドイツにいるとき、ドイツの本屋から大平洋戦争前史を書けと依頼があった。詳しく聞くと、あの戦争は日本は悪くなかった。アメリカが集団虐殺をしようとしたから、日本は抵抗しただけなのだという趣旨で書いてくれと言われ、ことわった。
 西ドイツでは戦後すぐ復興と共産圏側の脅威に対抗するために、脱ナチ化などほとんどしておらないそうです。元ナチの協力が必要だったわけです。
 ある記事のコメントで、おそらくポーランド人でしょうが、ドイツの謝罪は対ユダヤ人の対するものだけで東欧ロシアの一般人にタイル謝罪はないとか、また強制徴用に対しての弁財金も微々たるものだと書いていました。
 ついでですが、東欧地域で広汎に、女性にドイツの工場か農場で働くか(ドイツも戦争で人手不足)、国に残ってそのかわりドイツ兵にの慰安婦になるかという強制選択を強いています。木佐芳男著「戦争責任とは何か」によると、こうした問題を取り上げようとする東欧人やドイツ人もいるようですが、ドイツのマスコミは取り上げようとはしないようです。世界に冠たるドイツ(人)。それはあんまり。認めたくないというのでしょうか。
 二十年前ぐらい日本のテレビ番組でしたが、ドイツの元慰安婦の女性が日本だけで放映するという条件でインタビューをしていました。彼女の姉が共産主義者だったので、彼女も逮捕され慰安婦として働かされたそうです。このテレビ番組だったかどうか、あるいは何かの本だったかもしれませんが、同じような女性が、慰安婦は妊娠するとガス室に送られたと証言していました。日本の共産主義者は監獄に入れられましたが、転向すれば許してもらえました。ドイツは共産主義者は強制収容所送りでした。戦後日本では共産党が復活しましたが、西ドイツではしばらくすると共産党は非合法化されました。昭和56年ごろ西ドイツで連合赤軍(日本にもいました)が事件を起こし、監獄にいる赤軍メンバーの釈放をもとめました。そのとき西ドイツの牢獄に赤軍のメンバーの大物が複数いました。すぐみな不審死をしました。自殺だとされましたが。
 またドイツは負け戦の最中あるいは戦後まもなく東欧の占領地域からドイツ人が引き上げるとき、東欧の人々に虐待されるわけですし、多くの犠牲者がでています。これについては東欧諸国から謝罪を取り付けています。この点について日本は韓国朝鮮や中国から謝罪など得てはいません。
 ドイツ人とはそういう民族なのです。「ドイツロマン主義とナチズム」という本に、西の名前でコメントを出しています。長いですが、よろしければお読みください。


前の投稿への返答(返答日時: 2014/03/30 16:51:01 JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2014/03/30 17:05:01 JST)
julieisbestさんのコメント:
西さんへ

遅くなりましたが、あなたの再度の投稿に対して返答いたします。

>中国の便衣隊が一般中国人のなかに入り込み、なおかつ日本軍を攻撃したというきっかけを無視してはいけないと思います

1937年12月13日に5万人を越える日本軍が南京に入城したとき、一時的にもせよ便衣兵との間で市街戦が展開されたという報告はありません。これは様々な証言によって断言できます。日本軍が入城したとき、その大通りには至るところに脱ぎ捨てた軍服と武器がちらばっておりました。彼らは民服に着替えてゲリラ兵(=便衣兵)になったのではなく、ただ命惜しさに平民に化けた元兵士だったのです。これはイラク戦争でアメリカ軍がファルージャのゲリラと戦った状況とはまったく違っております。だから彼らを「便衣兵」と呼ぶのも正しくありません。彼らは戦意を失った敗残兵にすぎません。この指摘は右派の研究家北村稔氏の著書「南京事件の探求」(文春文庫)の中でも認められています。あなたが例にあげた「きっかけ」というのは、たぶん東中野氏らの「事実を捻じ曲げた解釈」にすぎないではないしょうか。

>当時フランスでは3万人が、アメリカでは4万人が殺されたと報じられていたようです…

安全区代表ラーベの説では5万人、右派の秦郁彦氏の説では約4万人とされます。ただし、左派の笠原十九司氏(「南京事件」岩波新書)や洞富雄氏の研究書(ex,「南京虐殺の証明」朝日新聞社)によれば10万人から20万人と推定されています。ちなみに東京裁判では15万人から20万人とされていました。この東京裁判の数字は捏造であるという人々がいますが、必ずしもいい加減な根拠のない数字ではありません。当時、南京城内外に大量に放置されていた死体を紅卍会という慈善団体が日本軍の許可を得て埋葬していました。その埋葬総数は約4万3000人とされています(この埋葬数はほとんどの研究者に認められています)。しかし同じような慈善団体で崇善堂という名の組織もありました。この崇善堂の報告では10万人以上の埋葬をしたとされています。驚くべきことに、この崇善堂の埋葬数のほとんどは南京城外に放置されていた死体であったとされています。しかし、これは必ずしも不思議な数字ではありません。当時の南京特別市は城内には130万人、城外の6県にも同じぐらいの人口がありましたので、周辺の農村部も合わせると250万人という規模の大都市でした。ですから南京城外で10万人の死体を埋葬したという崇善堂の報告は必ずしも非現実的だと否定はできないと思います。ちなみに、先のラーベの数字は主に城内で見聞した事実から推定された数字であり、南京城外で何があったかということについて彼はほとんど知ることはできなかったと思います。それと忘れてならないことは揚子江に無数の死体が流れていたという複数の証言があり、その数を考慮に入れると、中国側がいう30万人の虐殺というのも必ずしもありえないともいえません。はっきりいえることは、少なくとも4万人(秦郁彦氏の推定数)程度の虐殺があったという事実は動かしがたいということです。注意すべきことは、この虐殺は通常の戦闘行為による犠牲者ではないということです。日本は日中戦争以後約10年もの間、中国大陸のほとんどを占領していました。そこには常時百万を超える日本軍が派遣されておりました。当然ながら虐殺は決して南京だけで起こったわけではありません。中国全土ではその間に何百万という数の犠牲(現中国政府の説では犠牲者二千万人という)があったことは否定できません(忘れてならないのは日本軍の犠牲者数だけでも40万人います)。日本軍はナチドイツほど残忍ではなかったという人もいますが、東南アジアや太平洋一帯の占領地域を含めると、日本軍が行った軍事進出の規模はドイツのそれをまさり、歴史上でも前例がないほどの規模の侵略行為であったということは認めなくてはならないと思います。

>あの戦争処理について、戦争責任について、日本人のほうがドイツ人よりはるかに立派だったと思います。

鈴木貫太郎内閣の戦後処理についてはある程度同意できますが、ただポツダム宣言受諾の決断が遅かったというのは致命的です。広島と長崎に原爆が落とされた後に御前会議で重臣たちがポツダム宣言を受諾すべきかどうかを議論した時にも、まだ議論が統一されず紛糾したために、最終的には天皇陛下のご聖断を仰ぎました。ところがこれですべては決着したはずですが、その噂を聞きつけた一部の本土決戦派がクーデーターを起こし、裕仁を天皇の座から引きずり降ろして別の天皇を立てようとさえしております。これをみるとあなたが言うように「日本人は立派だった」とは手放しにいえません。

>猪木:おるどころじゃないですよ。官僚の九割はナチ協力者だったからですからね。ドイツにも”勝ち組”がでてきましたよ。大戦に勝ったというのではなく、火をつけたのは英仏で、ドイツは戦争を強いられた、ゆえにドイツは正しいという本がでましてね

ドイツも日本もほとんどの国民が軍部を熱烈に支持し支えていたわけですから、戦後に政権を引き継ぐ過程でも当然そうなったのではないでしょうか。実際、日本の政治家も官僚も共産党員などごく一部を除き、大東亜戦争の協力者だったのではないですか?尚、私はドイツの戦争責任問題については詳しく知りませんので、あなたの論争相手としては不適格であることを認めます。したがって、これ以上、この件の論争をするつもりがないことをお断りしておきます。

補足:私が以前に投稿した山本七平氏の文章の補足資料を紹介しておきます。ちなみに以下に紹介する文章は70年代に初頭に「諸君」誌上で行われた本多勝一氏VS山本七平氏(またはイザヤベンダサン)の有名な「百人斬り論争」から一部を切り取ったものです。

本多勝一氏の話
「南京虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに一般人民としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。」

以下はこの本多発言に対する山本七平氏(又はイザヤベンダサン)の批判です。

ここでまず教会闘争の人々およびブラント氏の「自明」からはじめましょう。両者の背後には聖書の世界の「贖罪」という伝統的考え方があります。これは本多様の謝罪とはまったく意味が違う考え方です。この贖罪という思想は非常に古く、おそらくは旧約聖書の最古の資料にまでさかのぼりますが、これを一つの思想として明確にしたのは第二イザヤでしょう。ヘブル思想の最高峰といわれる彼の思想、ヘブル文学の精華といわれるその詩、特に「苦難の僕」は、さまざまな面で聖書の民に決定的な影響を与えており、簡単には要約できませんが、その中の特徴的な考え方の一つは「他人の責任を負うことができる」という考え方です

一見、奇妙な考え方と思われるかもしれません。しかし、この罪責を栄誉と置き換えてみれば、人はみな当然のことのように他人(先人も含めて)の栄誉を担い、本多様とて例外ではないことはお気づきでしょう。本多様は砂漠にただひとり自生されたわけではありますまい。二十世紀の日本という社会に生まれ、何の権利もないのに、その社会の恵沢と栄誉を、当然のこととして負うておられます。従って本多様が「幼児であったから」「責任がない」といわれるなら、日本の伝統的文化、それにつづく現代社会の恵沢と栄誉を受ける資格も放棄されたことになります。責任を拒否した者に権利はありますまい。人間は生まれる場所も生まれる時も選ぶことができない故に歴史に対して責任がある、と考えるとき初めて人間は「人間」になるのであって、「おれは生まれた場所も時も自分で選んだのではないから責任はない」といえば、これは獣に等しいはずですが、そう考えうること自体が実は恵沢を受けている証拠なのですから、この態度は栄誉と恵沢は当然のこととして受けるが、罪責を負うことは拒否する」ということになります。

少なくとも聖書の世界では、これを最も恥ずべき態度と考えますので、ブラント氏がもしワルシャワで本多式のあいさつをしたら、すべての人が彼に背を向けたでしょう。なぜならこれは「財産は相続するが負債はおれには関係がない。なぜならその借金は、おのれの幼児のときのもので、当時何も知らなかったからだ」というに等しいからです。ブラント氏がドイツ人であるならば、その伝統という遺産とともに罪悪という負債をも継承するのが当然であり、またドイツ人を同胞すなわち兄弟と呼ぶなら、同胞の罪責は負うことができるし、負うのが当然(自明)のことだからであります。

罪なき者が他人の罪を負って砕かれる。この時はじめて、負った人は負わせた人々を同胞と呼びうる。すでに他人ではない。従って同胞としてその罪を糾弾する権利があると同時に、その罪科で苦しめられた人々に謝罪する権利も生ずる。そしてそれをすることによって和解が成立する・・・。

もうひとつ例をあげます。ナチが降伏した直後、強制収容所から解放されたドイツ人があります。その中に有名な「ドイツ教会闘争」すなわち反ナチ闘争をしてきた人々がおりました。この人々もワルシャワのユダヤ人同様、また多くの他の強制収容所に入れられた人々同様の運命にあったわけですが、この人々が解放されると同時に「本多式」のあいさつをしたでしょうか?(中略)ところが、解放されたこの人々の第一声は「全世界への謝罪」でした。ブラント氏の態度も同じです。本多様は、御自分のあいさつを、この人々の謝罪に比べて、どうお考えになりますか。・・・・(「日本教について」文芸春秋社)


前の投稿への返答(返答日時: 2014/03/31 10:29:16 JST )
西さんのコメント:
ご回答ありがとうございます。
 ブラントは反ナチ抵抗運動の英雄です。しかし、ある人(たぶんポーランド人)が言っていたように、彼はユダヤ人被害者に対しての謝罪が主で、一般のポーランド人その他東欧人への謝罪はしていないようです。またドイツのあの侵略戦争についても謝罪をしてはおりません。(この点をつくと、ドイツ人はあれは防衛戦争だと言うようです。)これはブラント自身の見解によるものか、それともそこまで踏み込むのはドイツの国内事情から政治的に得策ではないという彼の判断なのか、それともなにか別の理由なのか知りません。いずれにしろ、彼は反ナチ抵抗運動の英雄です。

 日本軍への支持ですが、この点についてもあなたの考えには同意できません。ナチは政権をとると、一党独裁化・ナチ化をすすめ、一党独裁化とドイツ社会のナチ化ができた時点で(文字どおりそうだとは言えない面もありますが、基本的にはそうです)、「予定どおり、計画どおり」その考えを実行に移すべく戦争をします。
 日本の昭和の軍国主義といわれているものは、まったく違います。まず日本陸軍は日本唯一の組織ではありませんでした。他の組織がたくさん併存していました。その軍国主義といわれているものは、陸軍は他の組織を壊し自己の統制下においたとか、陸軍一党化にした結果ではなく、日支事変(日中戦争)が拡大していくなかで、戦争遂行上の必要上から、日本社会がそのために動員されたわけであって、またその過程で陸軍の発言が大きくなっていったものです。あくまでも陸軍は日本社会の一組織にすぎませんでした。
 ということは、あの日中戦争が起こらず、あるいは拡大しなかったなら、軍国主義ムードも退潮したいたのはまちがいありません。日中戦争があったからこそ、日本陸軍は威張れたのです。退潮したというのは、当時の日本は農業より工業部門が大きな比重をしめており、その経済は複雑に海外との貿易に依存していました。その国民生活は複雑で、陸軍のような単純思考では維持していけないようなものになっていました。
 また天皇のうえに立とうともしたわけではありません。明治憲法範囲内で活動をしなくてはなりませんでした。この点もナチとは違います。ヒトラーとかゲーリングとかの際立った指導者もいませんでした。
 ナチは予定どおり戦争を開始遂行しますが、日本陸軍は中国との戦争から足を洗いたかったのです。中国本土をとるなどということは考えていませんでした。ここを日本人はまちがえています。「勝った勝った、悪いシナを懲らしめた」という形にして、撤兵したかったのですが、中国のうしろにアメリカ、イギリスという応援がつき、そうならならず、拡大化し泥沼化したわけです。だから、日中戦争から、アメリカのと交渉(日米交渉)が始まるのです。この間日本で広く考えられているように、陸軍が一方的に自分の意見を通すということもできなかったのです。反対派がいつもいました。東条が戦争開始の決断をしたのは、「決断ができたのは」、いわゆるハル・ノートを送られた昭和16年11月末のことです。それまでは日米戦争を避けようとしていたのです。
 また社会生活をナチドイツと軍国日本とで比較してみても、日本の社会生活はドイツや中国ののように恐ろしいものではありませんでした。言葉をかえれば、日本人はドイツ人や中国人とは違い、作ろうとおもっても、全体主義社会は作れません。
 戦況がおもわしくなくなると、東条は退陣せざるをえませんでした。ヒトラーは最後まで退陣などしていません。
 戦況により陸軍の発言権が弱くなり、陸軍の信頼が失墜し始めると、他の組織が終戦敗戦の主導権を取り始めることができました。この点でもナチ・ドイツより日本が立派です。
 
 ナチといわゆる日本の軍国主義ですが、その起源と成立の過程がまったく違います。ナチは都市に支持基盤をもち、経済界や知識人の支持がありました。日本は経済界や知識人の支持はありませんでした。また日本は農村に支持基盤がありました。しかし、農村も対外拡張政策を支持したとかいうのではなく、対外に的にムードとして強硬な態度をとるという気分が主であり、また欧風化した生活に嫌悪感をもっていました。だが、あの昭和10年代でさえ、生活の欧米化が、特に都市部で、進んでいました。
 外交政策も、ナチは思い切った政策、大胆な政策をとりますが、日本はとても慎重だったのです。悪くいえば臆病だったのです。
 こうした実態が世界では知られていませんし、また日本でも知られていません。これは一つの大きな原因としては戦前マルクシズムが知識人を席巻したということがあります。われわれはマルクス主義者ではないにもかかわらず、マルクス主義者の考えをあたりまえのこととして頭のなかへいれているということになろうと思います。
 


前の投稿への返答(返答日時: 2014/03/31 13:10:47 JST )
西さんのコメント:
追伸:ヘンリー・ストーク著、連合国戦勝史観の虚妄、へもコメントを送っています。よろしければこれもお読みください。


前の投稿への返答(返答日時: 2014/04/05 20:22:44 JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2014/04/05 21:38:56 JST)
julieisbestさんのコメント:
西さんへ

ドイツについては先に書いたとおり、私はほとんど事実を知りませんので、これ以上論争するつもりはありません。ただ、日本はドイツに比較して立派だったというあなたの論はご都合主義にみえます。オウム真理教と連合赤軍を比べて、どちらが立派だったのかというのと同じように聞こえます。日本人はそういう比較をよくしますが、その動機は自己正当化以外のなにものでもないでしょう。そんなことをいうと人類の歴史は戦争犯罪だらけなので、どんな戦争犯罪も裁くことはできなくなるのではないでしょうか。日本とドイツの戦争を比較することは決して意味のないことではありませんが、両者を比べてどちらがより悪が少ないかということは無意味です。ただ日本の戦争にはどのような特殊性があったかということを明らかにし、われわれ日本人が反省の糧とすべきことに少しでも貢献できるのなら、その比較はなんらかの意味があるでしょう。

>ナチは予定どおり戦争を開始遂行しますが、日本陸軍は中国との戦争から足を洗いたかったのです。中国本土をとるなどということは考えていませんでした。ここを日本人はまちがえています。……東条が戦争開始の決断をしたのは、「決断ができたのは」、いわゆるハル・ノートを送られた昭和16年11月末のことです。それまでは日米戦争を避けようとしていたのです。

このあなたの書き込みは保守派の論客によく見受けられますが、この認識はまったく間違っています。実は私自身も以前はそのような考え方を支持していましたが、山本七平氏の本(特に「日本人と中国人」)を読んで目を開かせられました。確かにあなたが言うとおり、盧溝橋事件後、軍部は不拡大方針をとっていたといわれます。その証拠にたびたび和平案を受諾するように蒋介石に働きかけていたといわれます。しかしながら、これは現実の出来事と重ね合わせてみるとまったく言い逃れにしかみえません。そうでなければ日本人は言動と行動は一致しないのが当然だという常識でももっているのだとしか考えられません。盧溝橋事件のきっかけを誰が作ったかということは現在でも謎ですが、おそらくは中国国民党軍の方から発砲があったのでしょう。これに対して日本軍がすぐに反撃をして北平(北京)一帯をあっという間に軍事占領してしまいました。その間、親日派の保安隊に裏切られて通州で日本人居留民に対する残虐な事件が起こりました。ある意味ではこの事件が火をつけてしまったのでしょう。いわゆる「中国を懲らしめる(応懲)ための戦争」が本格的に始まったわけです。この時点では中国国民党軍は日本と一戦を交わえる意志が確かにあったでしょう。この結果、上海に戦争が飛び火し、中国軍はかなり勇敢に戦い善戦したわけですが、彼らは結局20万人もの犠牲者をだして大敗しました。

この上海事変の勝敗が決した段階で蒋介石は日本側の和平案を受諾する意志を固め、これを当時のドイツ大使トラウトマン氏に仲介役をしてもらい近衛総理に受諾意志を告げました。これに対して日本側はどうしたのかというと、挙げた拳を振り下ろすことをせずに南京へ攻め上がったのです。このとき日本側が蒋介石の和平案受諾意志を了とすれば、それ以上戦争は発展しなかったのです。山本七平氏によると、このときの近衛総理の対応は単なる判断ミスどころか、近代の戦争史にも前例がないほどに不可解なものであり、この不可解さは独ソ不可侵条約の比ではないとしています。なぜならこの和平案は日本側が提案していたものであり、その提案を相手が受諾することを伝えたにもかかわらず、その約束を自ら反故にして南京へ攻め上がっていったからです。

これについて山本七平氏は次のように語っています。「日本人が過去の経験において絶対に忘れるべきでないことがあるとすれば、このことである。これが、誰からも強要されたのではない「自らの提案」だったという事実である。自らの提案を自ら破棄した者は、もはやだれも信用しない」(「日本人と中国人」より)

ちなみにこの和平案とは3つの条件から成っていました。(1)華北において反日行動を慎むこと。(2)互いに防共に努めること。(3)満州国の独立を承認すること。この3つの条件の中で1と2は蒋介石も協力できるとしていましたが、(3)についてはどうしても承認できないとしていたのですが、この上海事変の敗北によって「満州国の承認」という日本側の条件に屈服する意志を伝えたのです。

たしかに、あなたもいうように日本側は中国全土を占領するという意志をもっていなかったのは事実でしたが、満州だけは日本の領土としてあくまでも守護するという意志は明確でした。だとすれば、このとき近衛総理は蒋介石の受諾意志をありがたく受け入れることで当初の戦争目的は達成されたはずなのです。したがって、南京戦以降の戦争というのはありうべからざる戦争でした。これはたしかに領土拡張的な目標ではなかったかもしれないが、実際にやったことはまさに中国全土を占領下に置くというとんでもない侵略行為だったのです。この無茶ぶりは何の申し開きもできません。

この結果、アメリカらがABCD包囲網を形成して日本を貿易的に孤立させ、窮地に追い込む作戦をとったのは当然のことです。あなたが東條内閣を弁護しているハル・ノートというのも、その条文を読めば、日本にとってむしろいいことづくめの条件であり、要するに日本軍の中国からの全面撤退を促すだけのものであり、それさえ実行に移すことを確約すればアメリカは日本を最恵国待遇するとまで保証していたのです。ここで重要なことは、アメリカは満州国を認めてはいませんでしたが、ハル・ノートでは満州国からの日本軍の撤退まで要求していたものとは考えられていません。つまりハル・ノートは盧溝橋以前の秩序に戻ることを日本政府に促したものであり、これはもともとあった日本の国益を最大限に認めるものであったのです。この案を最後通告だと曲解して拒否したうえに、真珠湾を電撃攻撃してアメリカとの戦争開始を自ら宣言したのですから、これ以上日本を何の弁護もできないでしょう。当時の日本人の行動はあまりにも向こう見ずであり、無茶苦茶、まさに悪魔の所業だというしかないと私は思います。

補足:
日本には領土的野心はなかったというあなたの論は上記の点からも間違いであることは明らかだと思いますが、さらに遡れば日清日露戦争のときから明らかな領土的野心があったことはより明白だと思います。日清戦争は朝鮮半島を植民地化するための戦争でしたし、日露戦争はその計画を完全に達成するための戦争でした。特に重要なことは日露戦争前に、満韓交換協約という秘密の交渉を日本側からロシアに打診していたという事実です。これは何かというと満州一帯はロシアの支配地であることを認める代わりに、ロシアに対して朝鮮半島の支配権を交換条件として認めさせようとしたものです。しかしながらロシアは38度線以北は中立地帯としなければ認められないと返事してきたために、日本は対露戦争開始のやむなきにいたったというわけです。そしてこの戦争に勝利した結果、日本は朝鮮半島だけでなく満州の支配権をも手に入れました。のちの満州事変はその延長上の野心に他なりません。日露戦争の勝利というのは当時の日本の誰もが歓喜したものでしたが、この戦争から日本の大陸への侵略が始まったのだと思うと、この当時の日本人の無邪気ぶりにはゾッとします。この日露戦勝利から昭和20年8月15日のポツダム宣言受諾まではひとつながりの歴史的必然であったと考えられます。


前の投稿への返答(返答日時: 2014/04/06 12:04:45 JST )
西さんのコメント:
あなたと私の考えは案外近いかもしれません。日本は100%正しかったといったつもりはありません。日本は欲張りすぎたのです。日中の、日米の交渉がまとまらなかったのは、すべて中国、アメリカのせいだなどというつもりは毛頭ありません。(逆に日本だけが100%悪かったとも思いません。)日本はもっと妥協すべきでした。それができなかったのは、近衛さんの責任もありますが、結局陸軍が自らの正当な範囲を越えて、強硬な主張をしたのが大きな原因だといえると思います。もちろんそれには、「陸軍がんばれ」という応援団がたくさんいたわけでしょうが。
 
 日本はあの戦争をしなくても済んだ戦争です。その戦争をしてみずからを滅ぼすのですから、おめでたいとしか言えません。売家と唐様で書く三代目です。こうしたことは明治には起こりえないことでした。明治は理性的な時代でした。明治の指導者は武士の出身が多く、武士的文化が大きな影響をおよぼしていました。大正時代に日本は大きな社会的変化が起きて、大変大衆的な文化が幅をきかす国になりました。その結果が戦前昭和です。(東国原さんが、幕末明治にあのような指導者たちが出てきたというのは、「突然変異」だといっていました。間違いもいいところ。江戸250年の教育があのような人間を育成していたと思います。ついでにいえば、サッカーとかその他の運動チームを「サムライ〇〇」などと呼んでいますが、これも勘違いもいいところだたと思います。大衆映画やドラマのチャンバラのイメージで武士をみています。昭和の軍人はこの「サムライ〇〇」の自己イメージです。誤解をおそれずにいえば、幕末までに形成されていた武士は紳士だったのです。欧米の日本研究家のあいだでは、武士の評価は高いそうです。また明治期における朝鮮半島の問題とそれに対する日本の外交政策については、あなたかなり考えが違うかもしれません。当時は帝国主義の時代。日本人もそのなかで多かれ少なかれ妥協し順応し生きていくより仕方がなかったと思います。)
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Amazon.co.jp: ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?(祥伝社新書)の julieisbestさんのレビュー  
★★★★★★


カスタマーレビュー

170 人中、62人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0 反日的ドイツに対する安倍シンパの鬱憤晴らし?2013/11/21
投稿者 
レビュー対象商品: ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?(祥伝社新書) (新書)
興味深いタイトルに惹かれて一気に読ませてもらったのだが、著者のかなり右翼チックな解説には初めから終わりまで辟易とさせられた。著者は安倍シンパであることを隠していない。しかしドイツのマスコミは安倍総理にきわめて冷たく、ほとんど年中批判ばかりしているので、著者としては無性に腹立たしく、おそらくその不満が高じてこの本を書くことになったのであろう。要するに、この本は著者の反日的なドイツ・マスコミに対する鬱憤晴らしのような他愛のない本なのであるが、著者の意図とは別にわれわれが日ごろ接する機会のないドイツ・マスコミの日本評を知る上では貴重な本である。著者にとっては憤懣やるかたないほど偏向していると思われたのかもしれないが、ここに紹介されたドイツ・マスコミの日本批判は決して著者がいうようにひどいものではない。むしろそのほとんどは冷静かつ客観的なものであり、その分析力と情報収集力は驚くほど正確である。もしこれが逆であれば、日本のマスコミが果たして遠い国(近い国でも同じだが)の政治をこれほど正しく伝えるであろうかと非常に疑問に思う。著者がドイツ・マスコミを偏向していると感じるのは、情緒的ナルシズム的なナショナリズム(著者はそれを「愛国心」だと思っているらしい)から来るものであり、日本を批判されることは即自分を批判されることだと受け取って感情的に反発しているにすぎないのではないかと思われる。

以下、本書に対する若干の疑問点を指摘しておきたい。

まず著者はドイツ・マスコミのヒステリックな報道の証拠として3,11後のドイツ人の反応を例にあげて批判しているが、おそらくこの著者は3.11原発危機の何たるかも分かっていないのではないかと思われる。3.11後、ドイツの新聞などではすぐに日本を脱出しなければというパニック報道が起こった。これはドイツ人の原発ヒステリー症の例としているわけだが、しかしあの当時、日本では何が起こってもおかしくない本物の危機があったということについて著者はまったく分かっていない。もしあのとき原子炉の冷却に失敗すれば格納容器が爆発していた可能性は非常に高くあった。もし現実にそうなっていたら、東日本一帯は数百年間人が住めない地域になっていたであろう。格納容器が爆発しなかったのはむしろ幸運な偶然の結果であり、決してその危機はなかったとはいえないはずである(いうまでもなくその潜在的危機は現在でも続いているのだが)。

次に著者は3.11をきっかけに脱原発に舵を切ったドイツ人が、こともあろうにその恐るべき事故の当事国である日本で原発再稼働派の政党が国民の圧倒的支持を集めて政権についたということを信じられないとしているのを逆に批判している。しかし3.11がきっかけで脱原発を選択したドイツを責めるのはどうかしているのではないか?あれほどの事故を起こした国で、しかもその事故がいまだ収束したとはいえない状況で、さらに世界一の地震大国でありながら、原発再稼働派に政権を渡すというのは、一体、どういう選択なのか?これは原発ヒステリーのドイツ人でなくても「日本=不思議の国」と映ってもいたしかたあるまい。

現在のドイツ人の日本批判の根底には先の戦争をいまだに自衛戦争だったとかいってごまかし加害国であったという反省と罪意識を欠如していることがドイツ人には信じられないのである。これは当然のことであろう。しかしこの著者にはユダヤ人を殺したドイツと一緒にされたくはないというのである。実際、現在の安倍総理をはじめその周辺の人物はいまだに自衛戦争論を固持しているので、安倍シンパとしては当然その方があたりまえだと思っているのであろう。

著者はドイツ人がいう南京での虐殺事件も実際には誇張であると信じているらしいのだが、その根拠として虐殺否定派の東中野氏の本をドイツ人に読ませたいなどと書いている。これには唖然とした。東中野氏の本では南京でいわゆる便衣兵の処刑が行われたことに対してハーグ陸戦規定に則り合法であったというとんでもない解釈をしている人物である。そんな本をドイツ人が読めば、これはユダヤ人の虐殺を合法だったというのとほとんど同じ理屈だとみなされるであろう。こんな論理は世界中どこにも通用しない論理であり、日本でも秦郁彦氏や北村稔氏をはじめ右派の研究家からも批判されているのをご存じないのか?ちなみに著者は従軍慰安婦問題で秦郁彦氏の研究を例にあげて世界中に慰安婦制度はあったとして日本を弁護しているのであるが、その秦郁彦氏が自著(「南京事件」中公新書)の中で日本が中国人に対して行った虐殺とナチがユダヤ人に対して行った虐殺のどちらが悪いかということは一概にいえないと明確に語っているのをご存じないのであろうか?

著者も認めるように、現在の安部政権に対する右傾化批判はなにもドイツだけではなく、アメリカにおいても厳しい批判が底流として存在し、しかもそれは民主党だけではなく共和党内にも安倍批判が強くある。その結果、現在の日本は「戦争をいまだに反省していない手前勝手な国」として世界中からみられているという事実が存在する。これは著者がいうように決して単なる周囲の誤解ではなく、むしろそれこそが世界標準であるという事実を受け入れなければ、日本はこの先も孤立を深めるだけであるということは間違いないであろう。著者にはぜひこのあたりまえの事実に気付いてほしい。
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前の投稿への返答(返答日時: 2014/04/06 18:23:52 JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2014/04/06 18:38:38 JST)
julieisbestさんのコメント:
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>あなたと私の考えは案外近いかもしれません。

たしかに思うほど距離はないかもしれませんが、あなたの場合いわゆる「愛国心」というものが正常な分析を妨げている部分もおありなのではないでしょうか?日本の歴史家といわれる人々に共通して限界を感じるのはこのことです。つまり平気で(あるいは無意識のうちに)身びいきをしていて、そうすることが別に悪いことでもないという考え方です。この考え方はもちろん日本人だけのものではありませんが、日本人は血統的には純系比率の高い民族なので、利己的遺伝子を守ろうとする傾向(生物学者のリチャードドーキンスの説)がより強いのではないかと感じています。

その点、イギリスやアメリカの歴史家(知識人全般といった方がよいかもしれませんが)とは大きな差があるのではないでしょうか?私はイギリスで生まれた経験主義(帰納主義)やアメリカで生まれたプラグマティズム(実際主義)に影響を受けました。その考え方の基本は常に事実を謙虚にみるという姿勢です。事実を自分に都合よく解釈するのではなく、たとえ自分に不都合な事実であっても、その事実を受け入れることによって、より公正な見方に資するという姿勢です。この謙虚な姿勢こそが現在の世界をリードする英米文化の源泉だと思います。科学者というのは基本的にこの考え方に立っており、歴史学者も科学者のはしくれであるかぎりは、この考え方に立つべきなのです。ところが日本ではそのようなレベルの歴史学者が何人もいるのでしょうか?残念ながら、日本では戦後以来マルクス主義の影響が強かったために、マルクス主義史観に基づいた(似非)科学者が大量発生しました。ところが一方でマルクス主義を批判する人々は前近代的な右翼ナショナリズムに立脚している人が多いのです。後者の考え方は前者よりもより危険な思想に安易に転化します。現在の排外主義的な世論をリードしているのが、そのような右翼ナショナリズムです。最近流行りのベストセラー本をみるとほとんどがこの類いの本です。この点で日本人は欧米に比べてはるかに遅れているといわざるをえません(ドイツに比べてどうかは知りませんが)。

>明治は理性的な時代でした。明治の指導者は武士の出身が多く、武士的文化が大きな影響をおよぼしていました。大正時代に日本は大きな社会的変化が起きて、大変大衆的な文化が幅をきかす国になりました。その結果が戦前昭和です。

このあたりもちょっと私の感覚とは違います。確かに明治の内村鑑三や新渡戸稲造、あるいは西田幾太郎や夏目漱石など、今現在の世界でも十分に通用する知識人を多く輩出しているのは明治時代です。ただ、だからといって明治時代が素晴らしい時代であったとはいえません。明らかにいえるのは明治時代は日本の軍国主義化、帝国主義化へと一直線に舵をきった時代です。まるでホップ、ステップ、ジャンプという三段跳びのように日本は帝国主義化してゆきました。その最初のホップにあたるのが日清戦争であり、次のステップは日露戦争、そして最後のジャンプは満州事変です。その間に大正時代というちょっと一服した感のある平和な時代がありましたが、やがて思わぬ関東大震災と恐慌が発生し危機が押し迫ってきました。その危機の中で満州事変が起こり、この後に5.15事件が起こっています。5.15事件が奇妙なのはテロ事件を起こした青年将校たちが国民に支持されたことです。「満州国は日本の領土ではなくその宗主国は中国である」と発言した犬飼首相が殺されたのは当然だというのが大部分の国民世論だったのです。また同じように「満州国は日本の領土ではない」と主張していた朝日新聞社は売国新聞として不買運動が起こり、この結果、朝日新聞社は主張を変えて以後軍部の方針を支持する翼賛新聞に変身しています。あなたもいうように昭和の日本の戦争政策は陸軍の暴走だったのではなく、むしろ大部分の国民がそれを後押ししていたのだといえます。先にふれた近衛総理の強引な南京侵攻にしても、そうせざるをえなかった国民世論の後押しがあったからだと思います。ちなみに山本七平氏はこのときの不可解な近衛総理の対応に対して次のような結論をだしています。

上記の事態へのただ一つの解明点は実は「感情」なのである。近衛公の手記に「とかく我が国の外交論には感情論が多い」という嘆息がある。公は有能な政治家ではないが、相当的確な見通しをもった「評論家」ではあった。ところが「評論家」であるべきはずの新聞が、逆に「感情」の代弁者となった。それは南京陥落を報ずる新聞の狂態ぶりによく表れている。ある新聞は「蒋さんどこへ行く」という嘲笑的見出しをかかげ、また祝賀提灯行列の大きな漫画に掲載している。これらを見ていくと「トラウトマン斡旋日本案」を蒋介石が受諾することによって南京直前で停船することは「市民感情が許さなかった」ことが、よく分かる。「一切の条約は市民感情が許さない限り無効である」。従って、政府がどういう契約を結んでいようと、諸機関はそれを無視して構わない。これが当時、言論機関を含めた全日本人が当然とする考え方であったとしか思えない。そしてこれは今も同じであり、……(「日本人と中国人」より)

補足:
最近の日本の状況をみると、満州事変の頃の雰囲気となんとなく似ているように思います。現在の日本では「尖閣」と「竹島」の領土問題で中韓両国とどうしようもない対立の構図がありますが、日本政府はこの問題で譲歩する考えはまったくないようですね。むしろ今後は学校の歴史教科書でも尖閣と竹島はいずれも日本の固有の領土だとしてすべての教科書に掲載するとされています。朝日や毎日はこの動きをやんわりと批判していますが、そのトーンは決して激しくはありません。というのも国民の世論は圧倒的に政府の政策を支持するだろうと予想されるからです。けれども、私にはどう考えても尖閣と竹島が日本固有の領土だというのは無理があると思います。客観的にみればむしろ韓国や中国の言い分の方に理があるでしょう。ところがそんなことをいうと鳩山元総理のように「売国奴」といわれるのが落ちです。だから誰もそこまでいう人はいません。規模は小さいけれども、これは「満州国を日本の領土ではない」というと売国奴だとされた時代と同じようにみえます。


前の投稿への返答(返答日時: 2014/04/08 9:40:55 JST )
西さんのコメント:
感情論・・・ですが、日本人はつまり日本の文化においては知的な思考という点は昔からつまり伝統的に弱いと思います。(くり返しになりますが、明治は大正や戦前昭和と比較すれば、この点ではすぐれていただろうと思います。)


投稿日: 2014/09/13 2:55:28 JST
投稿者により編集済み(最終編集日時:2014/09/13 3:02:28 JST)
iさんのコメント:
なぜ。批判をした、ヨシオちゃん氏のコメントに答えない。批判に答えるのが義務だろう。


前の投稿への返答(返答日時: 2014/09/25 7:47:49 JST )
まりあさんのコメント:
iwannoahoさん、まりあと申します。
私はこの本を読んでおりませんが、ヨシオちゃん氏がどんなに素晴らしいコメントを書いても、貴女を買女呼ばわりするコメンテイターに応える義務など、無いと存じます。
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