Saturday 2 March 2019

「女神」続編 恐竜 megamib


 この物語は、全編にわたって成人向けの内容を含んでいます。未成年の方は
決して読まないで下さい。


「女神」続編

 既にJUNKMANさんの新作が発表された今、わたし如きの「女神続編」に、どれほ
どの意味があるだろうか、と、実は少々膝が震えています。
 発表について、JUNKMANさんから、快く許可をいただいていることに気をよくし
て、とにかく勢いでここまで書いてきました。以下の小説は、こびちゃでの雑談をきっか
けにわたしの脳内で妄想した「女神」の続編です。本筋の世界はあくまでもJUNKMAN
さんのものであるとして、以下の作品をパラレルワールドのようにして楽しんでいただけ
れば幸いです。
 もちろん、わたし如きの駄文が「女神」の続編を書かしていただけることに、感謝してい
ます。できれば、「盗作だぁぁ」などのご批判をなされませんことをドキドキしながら祈っ
ています。


1 女神

 午前六時。早朝の高速湾岸線、下り車線はかつてないほどの大渋滞に陥り、数え切れな
いほどの自動車であふれかえっていた。
 昨日の『巨人』の出現によって、東京が壊滅したため、周辺地域から地方への避難をし
ようとする者が運転する車、物資や生産設備などを疎開させようとする大型トラックなど
が集中したためだった。
 川崎の工場で、徹夜の作業で積み込んだ大型の工作機械を満載した、長距離トラックを
運転していた吉田孝彦は、疲れと眠気を恐怖と焦りによって振り払いながら、ハンドルを
握っていた。雑音だらけのカーラジオからは、生き残った横浜市内のラジオ局からの放送
が流れていた。
 とはいえ、疲れ果てたようなアナウンサーの声が伝えるのは、ごくわずかな情報(ほと
んどは昨日の正午前後の情報だった)の繰り返しにすぎなかった。しかし、孝彦を含め、
東京周辺にいる人々の全てを避難行動に駆り立てるには、それで十分だった。
 ラジオが伝えるのは、信じられないほど巨大な女性がおこなった、情け容赦ない破壊の
様子だった。東京駅を踏みつぶし、国会議事堂を丸ごと抱えて、まるで段ボール箱のよう
に軽々と投げ飛ばし、首相官邸をワシづかみに握りつぶし、陸上自衛隊の戦車をまるで虫
けらのようにひねりつぶし・・・。
 それは、江東区内の高層マンションの一市民が、その最後の瞬間までインターネット経
由で発信し続けた情報だった。音声に加えて、高圧縮のmpeg画像。地方テレビ局経由で
配信された、東京タワーの二倍にも達する巨大な女性が暴れ回る映像は、ブロックノイズ
だらけだったものの、日本中の人間を震え上がらせるに十分なインパクトをもっていた。
 孝彦のトラックは、ようやく横浜ベイブリッジの東京側に達した所だった。昨日の晩か
ら一睡もせずに運転し続けて、やっとここまでしか来られない。孝彦は、目の前の大渋滞
を、思い切り呪った。昨夜、東京で起きた巨大な爆発は、米軍の核攻撃だろう、と噂され
ていた。政府機関が完全に崩壊しているので、まともな情報はテレビを通じてすら入って
こない。だが、核攻撃だとすれば、巨大女性が生き残っているはずがなくとも、放射能の
危険があるではないか。SF映画の与太話としか思えないような「巨大女性」というもの
を、未だ目の当たりにしていない孝彦にとっては、放射能の危険の方がより現実的な恐怖
だった。
 とにかく、とにかく早く逃げないと。焦る孝彦をよそに、渋滞の車列は遅々として進ま
ず、時計はいつの間にか午前七時半を指し、太陽もようやく地平線から高く上り初めてい
た。ベイブリッジがほぼ南北方向に走っていたため、運転席にまぶしく差し込んでくる朝
日に、孝彦は寝不足で真っ赤になった目を細めた。慌てて、バイザーを下ろそうと手を伸
ばす。その瞬間、孝彦の大型トラックが、ずしん、と揺れた。手を伸ばした姿勢のまま、
孝彦は動きを止めた。地震か?そう思った瞬間、再び、今度は1度目よりハッキリと強く、
ずしぃん、という揺れが来る。彼のトラックだけではない。橋全体が大きく揺れていた。
ブリッジのピークに向かって、上り坂になっている場所にいたので、孝彦の運転席からは
渋滞のずっと先まで見渡せる。橋全体にずらりと並んでいた、大小さまざまな自動車が、
一斉に大きく揺れている。ずしぃぃぃん。再び橋が大きく揺れた。ブリッジ全体が大きく
波打っている。ずしぃぃいいん、ずしぃぃいいいん。揺れはますます大きくなり、車線の
端にいた車が煽られて、お互いに、あるいはガードレールに衝突し始めた。
 どうなっているんだ。これは地震じゃない。一体何が、孝彦がそこまで考えた時、ひと
きわ大きな音が橋の右側で響き、橋の中央付近の車が、あまりの衝撃にガードレールを飛
び越え、海に向かって転落した。
 思わず右側に首を振り向けた孝彦の視界に、信じられない光景が飛び込んできた。それ
は、足。遙か七十メートル下の海面から、見上げることすら出来ないほど遙かな上空に向
かってそびえ立つ、巨大な女性の足だった。孝彦は、ウインドウを開けると、その足に沿
って視線を上に向けていった。だが、首が痛くなるほど上に向けた視線に捉えられたのは、
膝までだった。大きさを別にすれば、美しい足だった。膝下が、すらりと延びている。足
首は引き締まり、ふくらはぎはバランス良く張っている。 
 だが、なんという巨大さ。なんという壮大さだ。孝彦は、恐怖を感じるより、あきれ果
てる思いだった。橋の一番高い所では、海面から八十メートルもの高さがある。橋脚の柱
など、海面から170メートル以上もの高さだ。道路上からですら、素晴らしい高さにそ
びえ立っているように見える。だが、その柱ですら、巨大女性の膝頭にしか達しない。膝
から上は、まるで見ることが出来ない。近すぎるからだ。と、巨大な左足が、ゆっくりと
持ち上げられ、橋の上空に向かって移動を始めた。長さは目測で、百メートルほどもある
だろう、巨大なパンプスが、海水を滝のようになだれ落しながら、橋の上に移動した。巨
大な靴から、おびただしい海水が降り注ぐ。靴の軌道の真下にいた大型トラックも20ト
ントレーラーも、まるで木の葉のように押し流されて、次々と海面に落下していった。
 巨大なパンプスは、そのままものすごいスピードでうなりをあげながら、橋の上空を通
過していった。海水に続いて、巨大な物体の高速運動に引きずられるものすごい風の風圧
に、小型乗用車など木っ端のように吹き飛ばされて空中に舞い上がっている。巨人にすれ
ば、ほんのわずか足をあげただけのことだろう。低い低い柵を、ひょいと乗り越えるよう
なものだ。巨大パンプスは、橋を軽々と乗り越えると、その左側、遙か七十メートル下の
海面に、すさまじい水しぶきを上げて着水した。
 十メートル以上あるはずの水深も、この巨人にとってはホンの浅い水たまりのようなも
のらしい。巨大パンプスの着水に伴って発生した大波に、近くの埠頭に繋がれていた何隻
もの貨物船が、激しく揺さぶられて互いに激突している。船体の金属があげる異音が、ま
るで悲鳴のようだった。くわえタバコを唇に貼り付けたまま、ぽかんと口を開いた孝彦の
目前で、今度は右足がベイブリッジ上空を横切った。またしても十数台の車が、巨大な靴
が注ぎ落す海水の濁流と、巻き起こす突風に押し流され、巻き上げられて、海面に落下し
ていく。
 と、まるで耳元の落雷のような、耳をつんざく轟音が響き渡った。
「あ、そうだ。」橋の左側に位置を変えた巨大女性が、声をあげたのだった。と、膝下しか
見えない巨大な足が、海面に渦潮を巻き起こしながらくるりと振り返り、そびえ立つもの
すごい大きさの脛が、ベイブリッジに向かって、ゆっくりと倒れ込んできた。あの膝に直
撃されたら、ベイブリッジなど紙細工のようにあっさりとつぶされてしまうだろう。孝彦
は、思わず両手で顔を覆った。だが膝は、橋の上の彼らのパニックなど全く無関係に、ゆ
っくりと、絶対的な重量感で、のしかかるように大きく大きく、圧倒的に大きく迫ってき
た。もうダメだ。橋の上にいた全ての人が絶望的なまなざしで迫り来る膝頭を見上げた。
 だが、倒れてきた膝下は、橋の上空、その寸前に迫るとぴたりと止まった。橋からわず
か10メートルほどだった。助かった。人々が胸をなで下ろし書けた時、今度はぴたりと
そろえられた膝頭が左右に開き始めた。群衆から、一斉に悲鳴がわき上がった。我先に、
車を捨てて橋の前後に逃げ出そうとする。だが、全力で走る人々の上を、直径五十メート
ルを超えそうな膝頭が通過し、慌てて地面に伏せた彼らの遙か上空から雷鳴のような声が
響き渡った。
「逃げなくても大丈夫。あなた達をこれ以上傷つけるつもりはありません」それは、耳が
砕けそうなボリュームを考えなければ、若い魅力的な女性の声だった。人々は、声の主を
求めて上空を見上げた。何千人もの人々をその間に納めてしまった、開いた一対の膝頭、
そのさらに上空から、巨大な、あまりにも巨大な女性の顔が、穏やかな表情を浮かべて彼
らを見下ろしていた。人々はやっと、理解した。どうやら、巨大女性は、橋に向かってし
ゃがんだだけ、らしい。だがしゃがんですら、膝頭はベイブリッジより高く、その顔は見
上げる視界のほとんどぎりぎりに収まるほどの上空だった。
 橋の上の全ての人々は、この時初めて巨大女性の顔を見た。まだ少女のあどけなさを残
したその顔は、まるで高層ビルの壁面いっぱいに描かれた絵のような巨大さだった。しか
し、人々の心を恐怖以上の強烈さで揺り動かすほど、美しかった。もしサイズが標準であ
れば、ふるいつきたくなるほどの美しさだ。見上げる人々の喉から、思わずため息が漏れ
る。と、橋の上の自動車の群れを悠然と見下ろしていた巨大女性が、口を開いた。
「こびとのみなさん、私はきのう、世界を統べる女王になった、石川亜里沙といいます。」
 耳を覆いたくなるほどの巨大な声だったが、同時にどこか心を洗われるような、心地よ
い響きをもった声だった。巨大女性・・・石川亜里沙と名乗っている・・・は、再び口を開いた。
「私はこれから、成し遂げなければならない事業のために、いったん日本を去ります。で
も、やがてまた、ここに帰ってきます。そのときまでに、私を女王として迎える準備をし
ておきなさい。あなた方に出来る精一杯の用意を。これは、女王としての、命令です。」
 そう言うと、巨大女性は、再び、しかし今度は急激に立ち上がった。あまりにも巨大な
物体が急激に動いたので、周囲の空気が猛烈な突風となって彼女の巨体に引きずられ、乗
り捨てられた数台の小型車が、木の葉のように巻き上げられて吹き飛ばされた。
「おっと」
 立ち上がりかけた巨大女性は、自分が吹き飛ばした数台の自動車を巨大な手のひらで器
用に受け止めると、橋の上にそっと戻した。手のひらと比べると、車などまるでラムネの
粒のようだった。
 初めて目の当たりにする巨大女性の、想像を絶する巨大さに、孝彦は全く身動きするこ
とも出来なくなっていた。これが、東京を全滅させた巨大女性か。なんて大きさだ。でか
すぎる。こんなにも大きいなんて。心がしびれるほどの驚き。孝彦の中で、巨大な、とい
う言葉の意味がハッキリと理解された。巨大という言葉と、偉大という言葉が、彼の中で
重なり合った。
 孝彦の視線は、彼らに背を向けて、地響きと共に橋から遠ざかっていく巨大少女の後ろ
姿を追い続けていた。どんな大型船でも起こせないほどの波を引きずり、足下を逃げまど
う大型のタンカーや貨物船を、軽々と跨ぎ越し、時にはつま先でそっと払いのけていく。
信じられない。本当に信じられない。孝彦の心中に、少しずつ変化が起きていた。少女の
巨大さに対する驚きの裏側で、もう一つの思いが急速にふくらんでいった。
 彼女は巨大で、偉大で、そして・・・こんなにも美しかったのか。いつの間にか、孝彦は運
転席を降りて、いまや全身が眺められるほどに遠ざかり、歩み去っていく巨大少女の後ろ
姿を、見つめていた。ふと気が付くと、周囲の自動車からも孝彦同様に人々が降り立ち、
ただそこに立ちつくして亜里沙の後ろ姿を見送っていた。もはや恐怖ではない。まして、
怒りや恐れなどでもない。畏敬、あるいは憧憬に近い表情を、そこにいる全ての人々が浮
かべていた。
 亜里沙は、東京湾を南に向かって遠ざかりながら、身につけていたサマードレスをする
り、と脱ぎ捨てた。下着だけの姿になった。
 橋の上の全ての人から、一斉にどよめきが起こった。快晴の青空をバックに、朝日に照
らされた巨大少女の姿が、感動的なまでに美しかったからだ。すらりと延びた脚。量感豊
かに揺れている、引き締まったヒップ。ぎゅっ、と音を立てるようにくびれた腰。贅肉の
ひとカケラもないすっきりした背中。風に揺れるセミロングのヘアー。
 その時、歩み去る亜里沙が、振り向きもせずに左手をあげ、左右に二度、軽く振った。
まるで橋の上の人々に別れを告げてでもいるように。
 人々の胸に、言いしれぬ感情がわき起こった。言葉に出来ない不思議な衝動に、誰もが
とらわれた。次々と、その場に跪く。早朝の、ひんやりと冷たいアスファルトの上に両手
をついた孝彦は、ただわけもわからず、ひれ伏していた。自然と涙が溢れてきた。止める
ことが出来ない。行って、しまう。彼女が、亜里沙が行ってしまう。切なさと、そして寂
しさに、孝彦の胸は引き裂かれそうだった。こんなに激しい衝動に駆られたのは、生まれ
て初めてだった。行かないでくれ、いや、行かないでください。いつまでもここにいて、
私たちの上に君臨してください。心の中で、孝彦はまるで母親を失った赤ん坊のように、
必死に叫んでいた。
 周囲の全ての人々が、皆おなじようにしていた。バラバラだったはずの心が、一つにな
っていた。女王などではない。そんなちっぽけな存在ではない。その姿を目撃した全ての
人々にとって、石川亜里沙はこのときハッキリと、女神となった。

 2 偵察

 さわやかな初夏の風に、白い雲がゆっくりと流れ、それらの影が同じくゆっくりと、何
もない地上をわたっていく。正午を少し回った空の青さは、まぶしいほどだった。
 その青空に、一条の白い雲が、ゆっくりと延びていった。それは、飛行機雲。色彩を失
い荒涼とした地上の風景とは対称をなして、どこまでもどこまでも、鮮やかに青空に延び
ていく。
 その雲の先端を飛行する銀色の航空機は、グァム島から発進した米軍の偵察機だった。
荒廃した大地。つい昨日まで、東京と呼ばれていた、がれきの山の上空はるか、一万メー
トルを飛ぶ偵察機は、高速で飛行しながら機体の下面に備えられた高性能のカメラで、次々
と高解像度の写真を撮影していた。カメラの操作をしていた偵察員は、レンズに写る画像
を見ながら、背中にゾクゾクするものが走るのを止めることが出来なかった。高度一万メ
ートル。ズームにしていないのに、こんな高空からハッキリと視認できる「人間の足跡」
など、見たことがなかったからだ。
 なんという巨大さなのだ。この巨人は、確かまだ16歳の、ほんの少女のはずじゃなか
ったのか。プライベートでは、アジア系アイドル好みのこの偵察員は、日本の新人アイド
ル「石川亜里沙」を知っていた。ネットを使って、何枚かの水着写真も手に入れていた。
胸と腰が東洋人離れして充実している他は、日本人らしく、華奢でスリムな美少女、それ
がイメージだった。今自分のカメラに写っているような、巨大な足跡とは、イメージ的に
どうしても重ならなかった。
 だが、その「華奢な日本の女の子」が、信じられないほどに巨大化し、東京をわずか半
日で壊滅させ、日本の自衛隊を遊び同然の気楽さで全滅させたのは、疑いもない事実だっ
た。さらに信じがたいのは、その巨大少女が昨晩の核攻撃にも無事であったらしい点だっ
た。在横須賀米軍からの連絡により、巨大少女が、早朝のうちに太平洋に移動した、とい
うことはわかっていた。だが、巨大女性は潜水艦の追撃を、まるで無視するように振り切
っていたため、核攻撃が与えたダメージがどの程度であったのか、が全く不明だったのだ。
 だが、この写真により、彼女はほぼ無傷であるらしいことがハッキリした。なぜなら、
巨大な足跡は、わずかに残った建物のガレキを踏みつぶしながら、東京湾に向かってまっ
すぐに歩いていたからだった。これは、核爆発を至近で受けて、なお平然と歩くことが出
来た事を示している。最優先で、司令部に送るべき情報だった。
 偵察員は、手早く写真を撮影しては、次々と太平洋艦隊司令部に転送した。
 偵察機より遙か上空を飛ぶ、米軍の偵察衛星も、赤外線写真を使って巨人の行方を追跡
しようとしていた。身長三分の一マイル以上、体重三百万㌧近い巨体が放出するであろう
膨大な熱量は、例え深海に潜んでいようと赤外線カメラが捉えるはずだった。だが、半日
以上に渡る、きわめて広範囲の捜索にもかかわらず、どういうワケか亜里沙の姿を捉える
ことが出来なかった。

3 混乱
 
 超巨大少女、石川亜里沙の出現によって、東京が壊滅してから24時間が過ぎた。出現
からわずか二日間で、日本という国の根幹を、きれいさっぱり破壊し尽くした亜里沙は、
芝浦から海にでると、半壊した高速湾岸線に沿って南下、横浜ベイブリッジを軽々と跨ぎ
越えて、浦賀水道へと向かい、在横須賀米軍など全く無視するように、太平洋へと歩き去
った。彼女のスケールからすれば、東京湾の深さなど膝にも届かない。しかし、浦賀水道
を過ぎ、外湾部に向かうにつれ、水深は急激に増し、最大で七百メートル以上にも及ぶ。
これは、640メートルの亜里沙の身長を優に超える。既に下着姿になっていた亜里沙は、
背が届かないことを知ると、そのまま水中にもぐり、いずこへともなく泳ぎ去ったのだっ
た。
 海上自衛隊の通常動力型潜水艦、そして、いち早く湾外に脱出していた在横須賀米軍の
原子力潜水艦が、亜里沙を追尾しようとしたが、百ノット以上のスピードで、潜水艦の安
全深度を遙かに超える深海を泳ぎ去る亜里沙に、あっさりと振り切られてしまった。
 海上自衛隊の戦力は、そのほとんどがまだ生き残っていた。追尾に失敗した潜水艦「お
やしお」からの連絡を受けた第一護衛隊群司令部は、所属の全潜水艦隊に引き続き周辺海
域の捜索を命じた。だが彼らにしても、発見したあとどうするかについてまでは、全く方
針を立てることは出来ないでいた。自衛隊の指揮系統は、完全に麻痺状態にあったし、各
地方公共団体から殺到している、治安出動の要請にも振り回されていたからだ。
 混乱しているのは、自衛隊だけではなかった。政府を失った日本はもちろん、三大証券
取引所の一つである東京を失った世界経済も、崩壊の危機がマジメにささやかれるほどの
混乱を示しつつあった。株価は暴落し、日本からの大規模な投資の引き上げが世界経済の
混乱に拍車をかけつつあった。そうした混乱の一番の被害者は、世界経済の実質的な支配
者である、アメリカ政府だった。 
 
4 ホワイトハウス
 
  大統領執務室に集まったこの国の首脳達は、いつもの夕食後のブリーフィングと変わ
りなく、自分たちで暗黙の内に定めた自分専用の場所に腰掛けた。
「いつもながら、見事な演説だったね。」ジェフリー・デイビス国務長官は、口にしていた
コーヒーカップをテーブルに置いていった。
「私の演技に世界経済がかかっている、などと言って君が脅かすからさ。」合衆国大統領、
トム・カールトンは、執務デスクの向こうで笑って見せた。
「私の一世一代の名演技が、効果を上げるといいんだが。」
「大統領、テレビ演説直後に放送局が行った全国アンケートによれば、合衆国国民はほぼ
100パーセント、大統領を支持しております。株式市場の動きも、沈静化しつつある、と
いう報告が」
「『ほぼ』百パーセント?」補佐官の言葉を遮って、眉をひそめたデイビスが言った。
「完全に百パーセント、ではないのかね。」微妙な棘を含んだその言葉を聞いて、補佐官は
にやりと笑った。
「残りのコンマ数パーセントは、カルトの連中です。数年前からFBIが目を付けていた
団体のいくつかが、『女神に従え』とかその類の主張を叫んでいるようですね。」
「まあいいさ。百パーセントの支持率は、民主主義の否定だ、とか言う映画のセリフもあ
ることだしな。」大統領は、軽く受け流した。
「しかし、私の名演説が本当に効果を上げるためには、君に頑張ってもらわないといけな
いよ。わかってくれているとは思うが。なあ、ワルツェンハイマー?」
 大統領の「ご指名を受けた」国防長官は、にやりと笑った。
「大丈夫だよ、トム。核攻撃と同時に、私は太平洋艦隊の出動を命じた。あちこちからか
なりの増強を施した、ね。ああ、正式な命令権はもちろん君にあるわけだが、当然命令書
にはサインしてくれるんだろうね?」
「もちろんオーケーだよ。軍事的な件では、君を完全に信用しているからね。だが、大丈
夫なんだろうね?相手は核ミサイルを受けても歩けるバケモノのようだが。」
「なに、心配ないさ。あの巨人との戦闘データなら、ばっちり入手してある。それに、艦
隊には新兵器も持たせてある。まあ、ここでゆっくりと大勝利の報告を待っていればいい
さ。この件が片づいたら、我が合衆国に逆らおうなどと言う愚かな連中は、二度と現れな
いだろう。」
 ふん。やや強がっている、かな。心の中で、大統領は密かに国防長官の発言を値踏みし
た。まあいい。確実にあの巨人を葬ってくれるなら、それでいいさ。欲しければ、勲章く
らいいくらでもくれてやる。何しろ、この闘いは、我々合衆国が世界の支配者であること
を、世界に示すための闘いなのだからな。そのためなら、勲章の五個や十個など、安いも
のさ。
「さて、大統領もすっかり上機嫌になられたことだし、少し早いが乾杯といこうじゃない
か?」大統領の笑みを、やや勘違いした国務長官の提案に、誰一人反対などしなかった。
彼らは、合衆国の勝利を確信していた。

 5 亜里沙

 太陽の光の届かない深海に、ぽつん、と浮かんでいる巨大な姿があった。石川亜里沙だ
った。白い下着を身につけていたが、深海の暗さの中では、全てが色を失っている。
 亜里沙は、深海の膨大な水圧も、零度近い水温も全く無視して、音のない世界で自分が
新しく手に入れた力について、あれこれ思いを巡らしていた。水中にいるにもかかわらず、
全く苦しくなかった。これも、私が手に入れた力なのだろう。単に、大きくなれるという
だけではなかった。既に24時間以上、何一つ口にしてはいなかったが、全く空腹感はお
ぼえない。亜里沙は、アメリカ遠征の前に、自分の力を試してみることにしていた。
 巨大化は、第一の能力だった。どれくらい大きくなれるのだろう。亜里沙は、巨大化し
たいと心の中で、強く願ってみた。もう一回、さらに、もう一回。周囲の世界が急激に縮
んでいくのがわかった。深海が、深海でなくなったようだった。
 その時、亜里沙は海水の振動に気が付いた。ふり向いた彼女は、海面の近く、亜里沙の
視界を横切っていく影に気が付いた。この、紡錘形のものはなんだろう?好奇心から、手
を伸ばしてみた。簡単に、捕まえることが出来た。黒い、紡錘形をした、三センチほどの
存在。一つではない。捕まえたものを含めて、全部で五つほどが、亜里沙の周囲に浮かん
でいた。亜里沙は、ひょいひょいと、あっという間に全てをその手に捕まえた。すべすべ
している。好奇心を駆られる。亜里沙は、捕まえた五つの「オモチャ」で、遊ぶことにした。

6 太平洋艦隊

「軍の情報じゃ、巨大女性の身長はおよそ600メートルプラス、推定体重は」そこまで言
って、艦隊に同行取材を許されているCNNの記者、ハートマンは、口をつぐんだ。
「どうしたね?続けてくれたまえよ」ブラウン提督は、愛用のパイプを口から離すと、促
した。人なつっこい笑顔を浮かべる。「で、体重がどうしたって?」
「は、すみません。しかし、あまりにも、その」そこまで言うと、ハートマンは再び自分
のメモ帳に目を落した。のどに何かが引っかかったような声で続ける。「予想では、約290
万㌧。でもそんな」額に浮かんだ汗を、無意識にぬぐう。「信じられませんよ。私が乗せて
いただいてる、この空母カールヴィンソンですら、満載で十万㌧ですよ。あの巨大少女は、
その三十倍近いなんて。しかも」ハートマンの声が、ややうわずりだした。
「日本の自衛隊の攻撃が、全く通用なかったんでしょ?戦車もミサイルも、オモチャほど
にも役に立たずに、あっという間に全滅させられたそうじゃないですか。我々の攻撃は、
本当にあのバケモノに通用するんですか?」
 ふん、びびりやがって。ブラウンは口をわずかにゆがめて思った。まあいい。そんな必
要など全くないことをこれからじっくり教えてやる。
「キミほど従軍取材歴が長いCNNの記者はいないと思っていたのに、これはまたずいぶ
ん心配性になったものだね」陽気な笑顔を浮かべながら、トムソン提督は肩をすくめてみ
せた。
「アメリカが、なんの勝算もない闘いに、これだけの大部隊を派遣したことが、今までに
あったかね?」自信に満ちたセリフ。だが、ハートマンの表情はゆるまない。
 自分の演技が効果を上げなかったので、ブラウンは心の中で軽く舌打ちをした。もちろ
ん表情には微塵も表さない。
「我がアメリカは、キミもよく知っている通り、民主国家なのだよ。無益な犠牲を出すこ
とが明らかな闘いに、大勢の未来ある若者を、動員など出来るはずがないじゃないか。み
たまえ。」ブラウンは、戦況表示板を示した。
「世界最大最強のニミッツ級空母を三隻。それに二隻の戦艦と五隻のイージス巡洋艦、さ
らにミサイル巡洋艦に護衛駆逐艦を合計で二十隻だ。おまけに原潜五隻が先行して警戒と
情報収集をしている。グァムやフィリピン、横須賀の部隊も全面的にバックアップしてく
れている。一体何を恐れることがあるんだね?」
「ですが」
「まあ聞きたまえ。作戦参謀、我々のプランについて、少しばかりご説明差し上げてくれ
ないか。」
「はっ」
 ブラウンの背後にいた作戦担当参謀が進み出た。まだ若い。おそらく30台に入ったば
かりという所だろう。端正だが、開けっぴろげで人なつこそうな顔つきをしていた。短く
狩り上げた金髪を、やや神経質そうになでている。手元の携帯端末を手早く操作しながら、
口を開いた。
「我々の作戦は、きわめて単純です。要は、安全な距離から十分な火力を投入するという、
それだけのことです。」端末のボタンを押すと、部屋が暗くなり、壁のモニターに映像が映
った。それは、亜里沙に対する日比谷公園での攻撃の様子だった。
「日本の自衛隊は、巨大少女の重量を36万㌧と推計し、それに見合う火力を用意しよう
としました。彼らのこの考え自体は、正しいものです。」ここまで言って、参謀は端正な顔
に冷笑ともとれる表情を、浮かべた。
「残念だったのは、正しかったのがその考え方だけだった、ということでしょう。実際に
彼らが用意したのは、およそ三百台に及ぶ戦車と、八十機ほどの航空機だけでした。彼ら
は、海上自衛隊の対艦ミサイルすら使用していません。これでは、推定36万㌧の巨人に
対しては、明らかに力不足です。」再び手元の端末を操作する。映像が切り替わり、さらに
巨大化した亜里沙が、陸上自衛隊の戦車部隊をもてあそんでいる映像が写った。
「日本の陸上自衛隊は数年前から、機甲部隊の主力としてそれまで使用していた、いわゆ
る戦車ではなく、AGSに変更しています。これは、乗員こそわずか一名ですが、それま
で彼らが装備していた90式戦車よりもずっと強力な砲を装備した、自走式装甲砲システ
ムです。我が軍のM1戦車を含めて、世界のどの戦車であろうと撃破する力を持っている、
大変優れた兵器です。ただ、今回の相手には、明らかに役不足ではありましたが。」参謀は
軽く笑う。
「彼らがなぜ、このような貧弱な攻撃力で満足したのかは不明です。しかし、我々は彼ら
の轍は踏みません。」映像がさらに切り替わり、今度はグラフと図表が表示される。
「ご覧いただいているのは、現在我々が保有する戦力を表したものです。通常戦力として
は、第一次湾岸戦争時の空爆を上回るものです。空母三隻の攻撃機は計200機。全て、
搭載力の大きなFA18ホーネットで固めてあります。また」グラフが切り替わる。
「艦隊全ての、遠距離ミサイルによる攻撃力も、過去の例を大きくしのいでいます。この
作戦で我々は、史上最高の戦力の集中を達成しました。艦隊は、同時に三百発の長射程対
艦誘導ミサイルを発射できます。」ハートマンが、ほう、という顔つきになったのを見たヒ
ギンズ参謀が、にやりと笑う。さて、罠にはまってもらう時だよハートマンさん。
「しかし、これらの攻撃力は、あの巨人に対しては、結局なんの効果もないでしょう。」
「えっ」ハートマンは思わず声を上げ、ヒギンズは笑みを大きくした。。
「これだけの攻撃力が?」壁のディスプレーを指さす。
「あんた、今までの説明は、オレをからかっていたのかい?アンタの言う前例のない程の
すごい攻撃が、なんの効果もないって、じゃ、一体何のための攻撃なんだね?」
だが、参謀の笑みは消えない。振り返ると、ブラウン提督も、意地の悪そうな笑みを浮か
べている。そうかいそうかい。知らないのはオレだけ。愚か者はオレだけって事か。だが
まあいい。どうやら、あんた達には切り札がありそうじゃないか。それを教えていただこ
うか。きっとすごい特ダネになることだろうな。そのためなら、オレはイワンの馬鹿にだ
ってなってやるさ。ハートマンは、状況にとまどっているマヌケの役に徹することにした。
それに満足したのだろう、参謀が口を開いた。
「艦隊の、通常戦力による攻撃は、全て本当の攻撃を隠すための囮です。」
「オトリ?」
「そうです。真の攻撃から、巨人の目をそらせるためのね。東京での戦闘データから、通
常兵器は全く役に立たないことが判明しました。また、これは極秘事項ですが、核兵器に
対しても、あの巨人は相当程度耐えられると考えられます。彼女は、ほぼ直上千五百メー
トルの距離で300キロトンの核爆発を浴びた翌日に、その場から歩き去っていることが、
我が軍の偵察機によって確認されています。」
「核兵器にも平気な巨人だって?なんて事だ。それじゃあ有効な攻撃方法なんて、ないっ
て事じゃないか。」このときのハートマンの驚きは、演技などではなかった。
「千五百メートルで核爆発を受けても、例えばこの空母ならそのまま走り続けられるし、
戦闘もこなせるんだが、それは知らなかったかね?」背後で、ブラウン提督が口を開いた。
「巨大で、防御が十分な物体であれば」参謀が続ける。
「至近距離の核爆発にも十分に耐えます。第二次大戦後の核実験での話ですが、日本軍の
戦艦が、二度の核爆発を受けながら、しかもうち一回は距離わずか二百メートルでしたが、
実験後丸五日間浮いていた、という例があります。従って、核爆発に耐えること自体、そ
れほど驚くにはあたりません。」
「しかし、事実として核爆弾も効かない、通常兵器もダメ、なら、君たちの隠し球は一体
何なんだ?提督がおっしゃるように、勝ち目のない闘いにアメリカの青年達を送るわけに
は行かないはずだが」ハートマンは、なおも続けようとした。なんとしてもその隠し球、
つまり本当の攻撃計画を知る必要があった。単に特ダネとして、だけではない。艦隊に同
行している彼自身の命も懸かっていることなのだ。
「提督、そろそろよろしいでしょうか?」ヒギンズ参謀は、ブラウン提督を促した。
「そうだね。ではハートマン、そろそろお互い、もったいぶりと馬鹿者の演技はやめにし
ようじゃないか。ヒギンズ君、続けてくれたまえ」ちぇっ。ブラウン提督、オレの、馬鹿
のフリを見破ってたか。ま、それでこそ歴戦の勇士、切れ者の誉れ高いブラウン提督なん
だろうが。ハートマンは、先程までの不安を忘れかけている自分に、この時やっと気が付
いた。きっとこれも作戦のうち、なんだよな。つまりこのオレも、ブラウン提督の手の内
だったワケか。ハートマンは、心中密かに苦笑した。
「攻撃の真の主役は、三隻の空母を合わせて二百機に及ぶFA18戦闘攻撃機です。その
うちの半数が、ここ」ディスプレーに、攻撃目標である石川亜里沙の横顔が映った。ヒギ
ンズはそのほぼ中心にポインターを当てた。
「彼女の耳の穴に攻撃を集中します。ここは、強固な構造を持つ頭蓋骨が、脳を防御して
いない唯一の場所です。ここに、我が軍最高の貫徹力を持つバンカーバスター弾を集中し
ます。」
「バンカーバスター?あの、イラクの地下強化陣地を攻撃した?」
「あれの改良型です。貫通力を増加し、つまり、厚さ十メートルの強化コンクリートを易々
と貫通しますが、弾頭は、爆発力五十キロトンの核弾頭に変更されています。」
「核弾頭だと?さっき、核は無効だといったじゃないか。」
「そうです。核弾頭は無効です。開けた場所ならば。ですが、開けた場所では無効であっ
た核兵器でも、耳の穴のような閉鎖された空間で用いれば、その爆発力は、ほぼ一点に集
中させることが出来ます。そこで与える効果は、通常の核攻撃などとは比較になりません。」
 参謀は言葉を切り、説明の締めくくりに入った。自分の言葉の重みを増すように、目を
細めてみせる。
「計算では、彼女の耳の穴の容積はほぼ25立方メートル。意外と小さいですね。その中
でTNT火薬5万㌧の爆発です。攻撃が成功すれば、彼女の頭部がショットガンで撃った
スイカのようにはじける光景が目撃できるでしょう。心配しなければならないのは、そん
な光景を見たあと、我々の喉を夕食が通るかどうか、くらいでしょう。」
「なるほど。それがあんた達の隠し球ってワケか。でも、これはどうするんだ?」ハート
マンは、壁の写真を示した。
「巨人の耳の穴は、髪の毛で隠れてるぜ。この写真でもわかるように、サラサラのセミロ
ング・ヘアーでな。」ハートマンはしてやった、と思った。一点返したぜ、ブラウン提督。
だが、それもハートマンの計算違いだった。
「その点に関しても、我々は計算済みです。先ほど、バンカーバスターは攻撃隊の半数が
搭載する、といいました。あとの半数は、」ちぇっ、やっぱり計算済みかよ。ハートマンは
自分が、自分の演技に関わらず、相手には馬鹿に見えているのではないかと疑い始めてい
た。ヒギンズ参謀が続けた。
「彼女の髪の毛の処理を担当します。つまり、美容師の役ですね。で、この美容師たちが
用意したハサミは、大変優れたものです。世間では、デイジーカッターとして知られてい
るハサミです。軍事的には燃料気化爆弾といいますが。」
「なるほど気化爆弾か・・・・」ハートマンは思わずうなった。燃料気化爆弾は、その名の通
り気化した燃料に引火爆発させる、特殊な爆弾だ。爆発によって発生する衝撃波で、通常
の爆弾より遙かに広範囲の目標物を、根こそぎなぎ倒す力を持っている。
「つまり」続けようとしたハートマンを遮って、ヒギンズが続けた。
「つまり、その爆発によって、うまく行けば巨人の毛髪を切断焼却し、悪くとも、大きく
なびかせることで耳の穴を露出させるのです。気化爆弾とバンカーバスターの攻撃は、タ
イミングが大変難しいものになりますが、実戦経験豊富な我が軍の精鋭パイロット達なら
ば、楽々と成し遂げられると確信しています。」
「つまり、これが私たちの作戦というわけさ。理解してもらえれば嬉しいのだが?」ブラ
ウン提督は、落ち着いた声で締めくくった。長い記者歴を持つハートマンだったが、これ
だけの説明に対しては、もはや反論する術をもたなかった。完璧だ。そう考えて、すっか
り安心していい説明だった。だが、ハートマンの胸の中に、隣の人間の喉に刺さったサカ
ナの骨のような、ごくかすかな引っかかりが残っていた。ただし、それが何であるのか、
彼自身にも説明できなかったので、それを口にすることは控えるしかなかった。
「わかりました。もう充分です。これで安心して寝ることが出来そうだ。」ハートマンは、
手帳を閉じながら、にこりと笑った。
「それで、提督。あの巨人と接触するのは、いつのことになるんでしょうか。」
「さてね。衛星からの赤外線探知にも引っかからないし、先行している潜水艦からの報告
も今のところないからね。まあ、あれだけの巨体が、一切気づかれずに我々に接近できる
はずもない。せいぜい警戒を厳重にするさ。」ブラウン提督は椅子から立ち上がった。
「さて、それではそろそろ仕事に戻らせてもらうよ。今の話、いい記事にしてくれたまえ
よ?」
「任せてください。あなたの勝利と共に、最高の記事にして見せますよ。」ハートマンはそ
う言うと、ブリッジをあとにした。ドアを閉めるころには、ハートマンは自分の中の不安
など、すっかり忘れていた。

 7 海

満月に照らされた海面が、どこまでもどこまでも広がっていた。広大な飛行甲板を渡っ
ていく海風と、足下から伝わってくるタービンの微かな振動以外は、ほとんど全ての音が、
この世から消えてしまったかのようだった。静かな夜だった。
 合衆国海軍航空隊所属パイロット、ヘンリー・ジャンクマン大尉は、海を眺めるのが好
きだった。訓練の合間や、非番の時など、他のパイロット達のように酒を飲んで騒いだり、
ベッドで休んだりせずに、いつも飛行甲板にでては、遙かな海を、飽かず眺めていた。
 彼は、海が好きだった。海には、いつまでも眺めていたくなるほどの魅力があった。絶
え間なく変化する波また波、暗い夜空を渡る雲と、それが複雑な影を落す、満月にきらめ
く海面。そして、時折遠くから聞こえてくるクジラたちの、意味不明だが、なぜか懐かし
く感じられる歌声。
 空母に乗っている時も、その歌声は聞こえるのかい?彼の飛行隊の同僚達は、折に触れ
て彼をからかった。
 俺たちみたいな罪深い人間には、聞こえないのさ。そうだよな、ジャン?
 彼には、そう言ってくれる友人達も大勢いた。だが、寝食を共にし、厳しい訓練を助け
合いながら乗り越えてきたそれら戦友達も、彼の、穏やかで広々とした人柄の魅力に惹か
れつつも、そして、パイロットとしての非凡な能力を認めながらも、その奥深い部分に時
折顔を出す不思議な部分、例えば一人きりで海を眺めていたがるような、を、つい持て余
してしまうのだった。
 その晩も、彼は一人飛行甲板に出て、ゆったりとした散歩を楽しんでいた。広大な飛行
甲板には、誰もいない。月光に照らされて、彼は一人で広大な海と向かい合っていた。こ
の雰囲気が大好きなのだった。彼は、ポケットを探ると、一枚の写真を取りだした。美し
い、東洋人の少女の写真だった。それは、巨大化した直後の石川亜里沙の写真だった。
 これが、俺たちの攻撃目標か。なんて、きれいな顔をしているんだ。ジャンは、率直に
そう思った。
 写真の少女は、本当に美しい顔立ちをしていた。明るい月の光を受けて、色白の顔が浮
き出すように輝いている。こんなにきれいな女の子が、東京を全滅させたって言うのか?
 軍人として、彼は今まで多くの敵と戦ってきた。それが、合衆国の、ひいては世界の平
和を守る仕事だと信じて来た。だがこの写真は、そうした彼の信念を、微かに揺らがせる
ものをもっていた。敵、というイメージを重ねて憎悪することが出来ないのだ。写真の少
女は、どこか遠くを眺めているようだった。笑っている。だがなぜだ?なぜオレの中で、
この女の子と俺が好きな海のイメージがダブるんだ?
 ジャンにはそれが、全く理解できなかった。だが、そのイメージは意識して振り払おう
としても、気が付けばまたもとの場所に戻っているのだった。おかしいな。オレは命令が
でたら、この少女の耳の穴に核爆弾を撃ち込むために飛び立たなくてはならないってのに。
オレは、この娘を殺さなくてはならないと言うのに。その「敵」が、なんでオレの中で海
と重なるんだろう。
 その時、どこか遠くから、クジラたちの歌が聞こえた気がした。気のせいかも知れなか
った。巨大な原子力空母の甲板にあって、クジラの声など聞こえるはずがなかった。だが
ジャンは、なぜかそれが気のせいなどではないと確信した。今までに経験したことのない、
不思議な気分だった。お前達、オレに何か言いたいことでもあるのかい?ジャンは、心の
中でクジラたちに呼びかけた。もちろん返事など期待していない。こんな思いが、彼の自
己満足に過ぎないことくらい、よくわかっていた。だが、それにしても。
 ジャンの脳裏に、幼いころ初めて海に遊びに行った時のことがよみがえった。初めての
船遊びで、彼は転覆したボートに巻き込まれて、危うくおぼれかけたのだ。その辺りは、
波がほとんど起きない静かな入り江だったが、ジャンの友人がボートの上でふざけたため
にひっくり返ってしまったのだ。
 暗いボートの中に閉じこめられて、彼は半時間あまり恐怖に震えていた。助けに来よう
とした大人達は、ボートの周囲をうろつくサメの姿に気が付いた。誰もが絶望しかけた。
 だが、その時急に、ジャンの父親によれば「この辺りでは見たこともないような」大波
が来て、彼を閉じこめたボートは、砂浜に打ち上げられたのだった。助け出された彼は、
怪我一つしていなかった。不思議な出来事だったが、周囲の人々は彼が助かったことに気
をとられて、誰一人突然の波を不思議に思わなかった。恐ろしい事故にあったにもかかわ
らず、ジャンが海を好きになったのは、その不思議な波のおかげだったかも知れなかった。
ジャンはその時、幼い心の中で「海がボクを助けてくれた」と思っていたのだ。
もう一度、クジラの声が聞こえた。ジャンにはそう思えた。もの悲しげな、それでいて
どこか懐かしい気持ちにさせる、その声。お前達、オレに何か言いたいことがあるんだね?
 ジャンは、もう一度クジラの声が聞こえないかと、その場にうずくまってじっと耳を澄
ました。初夏の海風が、彼の髪の毛を優しくなでていった。

 「通信長、前衛の潜水艦からの定時連絡が、ありません。」通信員の報告を受けて、艦隊
の通信長がコンソールに歩み寄った。
「相手は潜水艦だから、少しくらい遅れることは、ままあるわけだがな。確認したか?」
「はい。通常、戦闘時、両方のパターンでの確認を試みましたが、五隻の潜水艦のどれか
らも、応答がありません。空中状態は、きわめて良好なので、電波障害の可能性はありま
せん。」
「わかった。至急、司令部に報告をあげろ。どうもイヤな予感がする。」
「了解。」

 8 目覚め
 
 亜里沙の全身を、ごく微かな振動が、ゆっくりと横切っていった。海底にそっと横たわ
り、低層流の流れのしびれるほどの冷たさや、遙か遠くで鳴き交わす鯨たちの歌声を楽し
んでいた亜里沙は、ゆっくりと目を開けた。見上げる海面は、一面銀色のきらめきに満ち
ていた。照りつける南洋の日差しが、細かくさざめく波に乱反射されて、まるで、丁寧に
しわを寄せた銀紙を丹念に敷きつめたように、美しかった。
 その銀紙の連なりをゆっくりと渡っていく、いくつもの影に、亜里沙は気が付いた。大
きいのや小さいの、いろいろな種類の影が、一つの方向に向かって、ゆっくり、しかし決
然として進んでいる。どれも細長く、また、大きいのを小さいのが囲むようにしていた。
亜里沙を目覚めさせた細かい振動は、それからか伝わってきていたようだ。
 亜里沙には、それがコビト達の船だということがわかった。広い広い銀紙の海の中で、
それらはあまりにもか細くもろく、そして儚い存在に思えた。だがそれらの船には、コビ
ト達の明確な意志が込められてもいるようだった。亜里沙は、それらに向けて、心を澄ま
してみた。そっと、気付かれないようにそっと、彼らの心に触れてみる。大勢のコビト達
がいるようだった。実に雑多な、それぞれの都合に合わせたバラバラの心が感じられた。
そして、それらバラバラの思考に共通していたのは、亜里沙への強い敵意と、そしてその
内側に隠された激しい恐怖だった。
 このコビト達は、私を攻撃しに来たのだわ。亜里沙の顔に、ほほえみが浮かんだ。それ
なら、教育してあげなければならない。
 亜里沙は、心の中で頭上のコビト達に問いかけた。あなた達には、まだわからないの?
私という存在の意味が。そして、わたしに対する敵意や恐怖は、あなた達自身の、自分た
ちがこの星の支配者である、という傲慢から生まれていることが。そして、その傲慢は、
やがてはこの星を滅ぼしてしまうということが。
 未だ、太古から受け継いできた鋭敏な感覚を失っていない、水中のほ乳類達が、亜里沙
の巨大な脳から生まれる思念を感じ取ったらしい。遠い遠い海のあちこちから、それに応
えるような、彼らの歌声が聞こえてきた。もの悲しげな、それでいてどこか懐かしい気持
ちにさせる、クジラたちの声。
 いいわ。わかってる。亜里沙は、心の声でそれらの歌声に答えた。人間達は、教育して
あげなければいけない。この星を、滅ぼすような真似を、決して許してはいけない。この
星は、ずっとずっと生き延びるの。私は、それを見守り、最後まで見届ける。私は、その
ために生まれた存在なのだから。そうでしょ?ジボイさん。あなたったら、本当にウソツ
キなんだから。対エイリアンの、侵略防止用最終兵器、ですって?うふふ、私を16歳の
女の子だと思って。今度会ったら、タダじゃおかないんだから。だが、亜里沙にはわかっ
ていた。ジボイとの出逢いは、もう二度とないであろうことが。
亜里沙は、現実世界に意識を戻した。コビト達の船団が、亜里沙の頭上にさしかかりつ
つあった。教育の、時間だ。亜里沙は、ゆっくりと体を起こし、右手を一隻の小さな船に
伸ばしていった。

 9 戦闘

 それは、誰もが予想していない形で、しかも全く突然に襲ってきた。
 【その時】、艦隊の外縁を警戒していたミサイル駆逐艦「カーティス・ウィルバー」のC
ICに、ソナー員のまるで悲鳴のような声が響いた。
「ソナーに感。本艦の直下、浮上してくる物体!深度、1000から、急速に上がってきます!」
「なんだ、どこかの潜水艦か?」ソナー長が自らもヘッドセットを付けながら尋ねる。「潜
水艦ではありません。スクリューのキャビテーションノイズなし、ポンプ音、排水音なし。
一切の機械音がしません。」「潜水艦じゃない?なら一体何だ」ソナー長の声が、やや荒く
なる。CICの誰もが、突然の、しかも理解できない現象にとまどいの表情を浮かべた。
 周囲を警戒していた対潜ヘリも、その物体をソナーに捉えた。何機かが、慌てたように
対潜魚雷を投下する。
 再びソナー員の声が響く。「魚雷、六発が航走中。各魚雷は個別に探信開始。目標をキャ
ッチしました。深度五百からなおも沈降、追尾中。追尾中。目標に、まもなく命中。」爆発
音から自分の耳を守るために、ヘッドフォンを慌てて投げ出す。数秒後、足下から、不気
味な振動と、かすかな爆発音が複数、響いてきた。ソナー員はヘッドフォンをかけ直した。
再び数秒が過ぎる。「命中しました。目標、計測中・・・・」全員が、報告を待った。が、次の
瞬間、ソナー員のほとんど悲鳴のような絶叫が響いた。「だめです!魚雷は無効!目標、な
おも本艦に接近中、深度百五十、まもなく接触しますっ」
「全艦、衝撃に備えろ!」スミス艦長の野太い声が響くと同時に、ズバン!ズバン!ズバ
ン!という轟音が艦を震わし、巨大な水柱が五本、ちょうど艦の周囲を取り囲むように立
ち上った。周囲にいた全ての艦の、全ての人々が、それを目の当たりにした。ブラウン提
督も、カールヴィンソンから約二十キロ向こうの出来事を、双眼鏡でハッキリと視認した。
すぐ横で、ハートマン記者の、まるで蚊の鳴くような、か細いつぶやきが漏れた。
 「あれは・・・」目玉が飛びださかばかりに見開かれている。口はあんぐりと開かれたまま、
唇にはくわえタバコが引っかかっている。「なんて、なんて事だ」
 水柱がゆっくりと崩れおち、その中に存在したものを露わにした。それは、信じられな
いほど巨大な、人間の指のように見えた。全体にほっそりとした造りの、優美とさえ言え
る指だった。楕円形の爪は長く、先端がきれいに手入れされている。明らかに、女性の指
のようだった。だがその指は、海面からはるか百五十メートル以上も立ち上がり、一本一
本が、ほとんどミサイル駆逐艦と変わらないほどの巨大さだった。あまりのことに、それ
を目撃した人々全てが言葉を失った。ただ一人、駆逐艦長スミス中佐を除いて。
 スミスは、脳がしびれるほどの恐怖を、歴戦の勇士だけが持つことが出来る、あり得な
いくらい強靱な意志の力で跳ね返し、大声で命令を発した。
 「前進、最大戦速!いそげっ」その声に我に返った兵曹長が、速力通信機のレバーを思
い切り入れる。たちまちガスタービンの轟音が響き、駆逐艦は一気に加速を始めた。助か
った。誰もがそう思った。だが、それは間違いだった。
 勢いよく加速を始めた船の行き脚が突然止まり、乗り組んでいた人々全てが床にうち倒
された。「機関室、どうしたっ!」副長が艦内通信機に怒鳴る。だが、ガスタービン機関が
あげる轟音はますます高まり、船が不気味に振動を始めた。誰もが事態をつかめず、すが
るような視線が、艦長に集中した。だが、湾岸戦争以来の歴戦のベテランであるスミス艦
長にも、どうしたらいいのか全くわからなかった。その時、艦が大きく揺れ、前後から金
属が無理矢理ゆがめられるような甲高い轟音が響いた。CICの全員が、まるで大地震の
ように揺れ動く艦内を、外が見える場所、ブリッジへと駆けだした。そして、彼らは自分
たちを襲った事態を目の当たりにした。
 全長160メートル、排水量9000㌧の大型駆逐艦は、船の先端から、太さ40メートル以
上、長さ160メートル以上もある人差し指に、艦尾から、遙かに太くてより短い親指に、
がっちりと挟まれていたのだ。この手の持ち主からすれば、自分たちの乗っている駆逐艦
など、全長5センチほどの鉛筆サイズに過ぎないだろう。と、全員がものすごい衝撃に、
床にうち倒された。あろう事か、巨人の手は、指先に駆逐艦を摘んだまま、海面から持ち
上げ始めたのだ。駆逐艦は、まるで重さなどないように海面から楽々と離れ、周囲の海水
を失ったスクリューが、甲高い音を立てて空転した。
 想像を絶する異常な事態は、他の艦からはハッキリ見えている。駆逐艦を前後から摘ん
だ指先に続いて他の指、さらに遙かに巨大な手のひらが現れ、続いて手首が、さらに前腕
部が、そして肘が、次々と海面に現れ、哀れな駆逐艦をどんどん上空に運び去っていった。 
各艦の通信員たちは、カーティス・ウィルバー乗組みの男たちの悲鳴を聞いた。艦まるご
と、全くなすすべもなく、巨大な指先によって遙か上空に摘み上げられていく、ちっぽけ
な船のちっぽけな人間たちの絶叫を、聞いた。
 誰もがどうしていいのかまるでわからないうちに、今度は少し離れた海面がまるで海底
火山の爆発のように、ぐらり、と盛り上がった。膨大な海水の盛り上がりが崩れるのに伴
って、ものすごい大波が発生し、近くにいた艦艇をまるで台風のように揺さぶった。
 艦隊の誰もが、何が起こったのかなど、もうとっくにわかっていた。そして、誰もが恐
れていた。そんな光景は見たくない。そんな事実は認めたくなどない。これは何かの間違
いだ。冗談だと言ってくれ、頼むから。だが、そうした人々の期待を冷酷に裏切るように、
海水のドームを突き破って現れたのは、駆逐艦をまるでマッチ棒か何かのように持ち上げ
去った巨大な手の持ち主にふさわしい、巨大な、あまりにも巨大な女性の顔だった。人々
はその顔が、写真で見せられていたこの作戦の攻撃目標、石川亜里沙であることをハッキ
リと理解した。
 空母カールヴィンソンのブリッジでは、ハートマン記者が、ブラウン提督に詰め寄らん
ばかりに叫んでいた。
「話が違う!でかすぎる!なんであんなにでかいんです?報告とまるで違うじゃ」
「黙りたまえ!見苦しい」日頃温厚な、ブラウン提督の怒声に、ハートマンは口をつぐん
だ。ブラウン提督の顔も、目玉が飛び出しそうに引きつっている。だが、彼の声はその表
情と全く違っていた。
「全艦隊に警報。全艦兵器使用自由。全艦回避自由。航空隊は所定の装備で直ちに全機発
艦。以上、直ちに発令したまえ。」全ての兵士たちが、はじかれたように動き始めた。指揮
官の、自信に満ちた声に、厳しい訓練と豊かな実戦経験で得た、兵士としての自分を取り
戻したのだった。そうした部下の、期待通りの動きに目を細めると、ブラウンは改めてハ
ートマンに向き直った。
「どうかね、わかっただろう?軍事行動には不測の事態というのは付き物なんだが、それ
に出くわして、たやすくパニックに陥る君のような民間人と違って、私たちは軍人だ。戦
闘のプロだよ。」ハートマンの鼻先に、指を突きつける。
「わかったら、黙って我々のやることを見ていてもらおう。作戦は、説明してあった通り
だ。」
 巨大な空母の艦内全てに、警報が鳴り響いた。命令からわずか十五秒で、最初の攻撃機
が広大な飛行甲板を蹴って飛び上がる。間髪入れずに、カタパルト上で待機していたジャ
ンの乗機が続いた。グン、と加速した攻撃機は、軽やかに舞い上がっていく。
 他の空母からも、次々と攻撃機が飛び立ち始めていた。カールヴィンソンと併走してい
た戦艦ニュージャージーとミズーリは、海面から出現した石川亜里沙にむけて、合計18
門の16インチ砲を振り向けつつあった。水圧ポンプの重々しい音と共に、鋼鉄の固まり
のような重装甲の砲塔が、ゆっくりと旋回していく。
 他の艦でも、全てのランチャーに、あらゆる種類のミサイルが装填されていた。その数
は、艦隊合計で300発を超えるだろう。
 不意を突かれた米艦隊だったが、さすがに世界最強の名に恥じないスピードで、戦闘準
備を整えつつあった。全ての兵員が、命令に従い、自分の配置につき、与えられた仕事に
没頭することで、恐怖をコントロールし、闘志に変えようと努力していた。
 だが、彼らがどれだけ努力しようと、武器の照準を定めるためにどうしても亜里沙の巨
体を視界に納めなければならない。照準器を覗き、レーダースクリーンを見つめる彼らは、
周囲の全てから突出して巨大な、あまりにも巨大な亜里沙の姿をその目に突きつけられ、
膝の力が抜けるほどの恐怖をおぼえずにはいられなかった。

 スロットルを全開にしたジャンの乗機は、力強いエンジン音と共に、ぐんぐん上昇して
いく。上昇と共に広がっていくジャンの視界に、彼の空母が、波を蹴立てて加速し始めた
周囲の護衛艦が、さらにもっともっと多くの艦隊の僚艦が捉えられていった。やがて、旋
回にはいるために機種を巡らしたジャンの目は、艦隊全ての人々を恐怖に陥れつつある存
在、イヤでも目に入ってくるほどの巨大さで周囲を圧倒しつつある亜里沙の姿を捉えた。
反射的に計器板に目をやる。高度2000メートル。だが、なぜオレはこの少女を見上げて
いるんだ。なんでこの巨人はこんなに大きいんだ。事前にわたされていた情報とはまるで
違う。ジャンは、ポケットから巨人の写真を取りだした。こちらを見つめる、笑顔のかわ
いらしい美少女の写真だった。目の前で、まるで海底火山の噴煙のような巨大さで、ぐん
ぐん空に延びていく非現実的なほどの怪物が、この写真の少女なのか。想像を絶する目の
前の光景に、混乱し始めたジャンの意識を、飛行隊長の声が現実に引き戻した。
「攻撃隊全機へ、こちらは飛行隊長のサンダースだ。全機、所定の高度で待機。攻撃はま
だだ。残念ながら、床屋は離艦できない。信じられん事だが、あのバケモノが起こす波が
激しいせいで、安全に離艦できないんだそうだ。だから、俺たちだけでやるしかない。チ
ャンスを待つぞ。以上だ。」ジャンの意識は再び混乱し始めた。あの、世界最大の空母を、
しかも三隻まとめて、一人の少女が起こしている波が揺さぶっている、だと?

 亜里沙の巨体は、今や上半身がほとんど海面上に現れていた。そしてなおも、より高く、
どこまでも高くせり上がっていく。見上げる彼らの頭上遙かで、亜里沙の前髪が流れる雲
に届き、その流れをせき止めたのが見えた時、ようやく亜里沙の動きが止まった。日の光
を浴びて、雲をかき分けながら、青空を背景に海上にそそり立つ、まるで山のような巨大
な姿。白い下着だけを身につけたその姿は、女性的な美を余す所なく備えた、まるで男性
の幻想から現れたような、素晴らしく美しいものだった。海水を滴らせて輝くセミロング
の髪。すっきりとした首に続く鎖骨と、華奢な印象すら与える肩。その計り知れない巨体
と比べてすら大きな乳房は、ブラに包まれて誇らしげに前方にせり出し、引き締まった腹
の上に深い深い影を落している。彼女のサイズで言えばGカップに近い、見事に充実した
バストだった。ウエストは、音を立てるように引き締まり、素晴らしく発達した腰は、ま
るでアメリカ女性のグラビアモデルのように、たくましかった。そこからさらに延びる、
むっちりとした太股の上四分の一から下は、海面下に隠れている。
 海面上、およそ四百メートルもの高さの、純白のパンティーに包まれた股間からは、彼
女の巨体をいまだなだれ落ちる膨大な海水が、滝のように海面に降り注いでいた。
「うーん」まるで雷鳴のような亜里沙の声が、海面を圧して響き渡った。駆逐艦を軽々
と摘んだ右手はそのままに、左手を大きく頭上に差し上げて、気持ちよさそうに伸びをし
ている。明らかに、リラックスしている。周囲に展開し、恐るべき攻撃の準備を進めつつ
ある世界最強のアメリカ艦隊など、まるで気にもしていない。あまりに堂々とした、そし
て無邪気な亜里沙の様子が、艦隊の兵士たちの恐怖をさらにかき立てた。
 亜里沙は、差し上げていた左手を腰に当てると、その顔をうつむけ、足下のアメリカ艦
隊を見下ろした。にっこりと微笑む。そして、ゆっくりと口を開いた。
「アメリカ艦隊のみなさん、こんにちは。私は、世界を統べる女王様になった石川亜里沙
といいます。」全ての兵士が、その声を聞いた。そして、亜里沙が口にしたその言葉の意味
を理解した。あり得ないはずだった。巨大になったとは言え、亜里沙は元々は日本人であ
る。巨大になる前の亜里沙は、英語などほとんどしゃべることは出来なかった。なのに、
その言葉はアメリカ艦隊の兵士たちに、容易に理解することが出来た。だが、人々が不思
議に思うまもなく、亜里沙はその言葉を続けた。
「ところでみなさん、これは、わたしに対する歓迎なのでしょうね。まさか、これほどに
ちっぽけなあなた方が」そういうと亜里沙は、右手に摘んでいた駆逐艦を、その小さな姿
と、それに比べて遙かに巨大な自分の手をこびと達の目に晒すように、自分のへその辺り
まで下ろして見せた。亜里沙に摘まれている駆逐艦は、全長160メートル近くあるはずだ
った。しかし、そうやって見せつけられる駆逐艦は、亜里沙の巨体と比べればあきれるほ
ど小さい。亜里沙のスケールからすれば5センチほどでしかない。つまり、鉛筆のキャッ
プほどの大きさだ。
「わたしに刃向かおう、というのではないでしょうね。」亜里沙はくすくすと笑って見せた。
摘んだ船を、再び顔の前に持ち上げて、しげしげと眺める。
「それにしても本当にちっぽけな船だわ。」
 手の動きにつれて、台風など問題にならないほど大揺れに揺れる駆逐艦に、必死でしが
みついていた乗組員の眼前に、途方もなく巨大な亜里沙の目があらわれた。巨大などとい
う表現では追いつかない。その瞬きですら、長さ20メートル近い睫がうなりをあげ、彼
らを見つめる瞳は、鉄道のトンネルよりもはるかに広そうだった。
「あなた達は、この私と戦うつもりだったのかしら?」亜里沙の控えめな、しかし凄まじ
いボリュームの声に、ブリッジの防弾ガラスがあっさりと砕け散った。艦上の人々の頭上
に、雨のようにガラスの破片が降り注ぎ、人々は、ただ逃げまどうばかりだった。
 その時、恐怖に耐えかねたのだろう、一機のCIWSが旋回し、亜里沙の顔面に向かっ
て20ミリ劣化ウラン弾の連射を放った。巨人が履くズボンのジッパーを引き下げるよう
な音と共に数百発の弾丸が発射され、全弾亜里沙の顔面に命中したが、全てあっさりとは
じき返されてしまった。だが、何人かの人々は機関砲の発射音で我に返り、亜里沙にむけ
られる全ての火砲にとりつき、発射した。数十発の砲弾が亜里沙のほほに命中したが、傷
一つ付けることすら出来なかった。駆逐艦上の全ての人々の胸に、計り知れない恐怖と絶
望が広がった。
「あらあら、いまのはもしかしたら攻撃だったのかしら?それとも花火か何か?」亜里沙
が嘲りを込めて笑う。その声に反応するように、さらに一発のミサイルがランチャーから
打ち出され、亜里沙の顔に命中したが、もちろんなんの効果もなかった。
「いけない子たちですね。女王様の顔に向かって失礼なふるまいをするなんて。いけない
子たちには、お仕置きが必要ね。」そういうと亜里沙は、駆逐艦を胸の前におろした。
「アメリカ艦隊のみなさん、見えますか?わたしに刃向かおうとするいけない子たちに、
これからお仕置きを与えます。」亜里沙は、こびと達の視線を十分に意識しながら、右手の
指に、ほんの少しだけ力を加えた。すると鋼鉄製の駆逐艦は、まるでアルミ箔か何かでで
も出来ているような気軽さで、前後方向からミシミシとつぶれ始めた。艦上からは、なお
も残った火器が亜里沙に向かって全力で放たれていたが、膨大な重量感をたたえて揺れる、
駆逐艦の全長の三倍近い直径を持つバストに、全てあっさりと弾かれてしまっていた。
「まだそんなことをしているの?本当にいけない子たちだわ。さ、お仕置きを続けるわよ。」
亜里沙はくすくす笑いながら、なおも指を曲げていく。艦のあちこちから、人々の絶叫が
響き、漏電や、引き裂かれる金属が起こす火花が、至る所からシャワーのように吹き上が
り、人々を焼き殺した。
 乗員を守るはずの頑丈な隔壁や装甲板は、いまや凶器となって人々に襲いかかり、乗組
員は部屋ごと、砲座ごと、持ち場ごと、次々と潰されていった。ひしゃげた甲板やデッキ
から逃れようと、艦を飛び降りた人々もいたが、みな絶叫をあげながら、遙か二百メート
ル近くを落下して行き、駆逐艦を支えている手のひらに激突してつぶれて死んだ。CIC
で最後の指揮を執っていたスミス中佐も、そこにいた全ての人々もろともに、潰れて迫り
来る壁や天井に挟まれ、ひとたまりもなく潰されてしまった。
 膨大な量の金属が、引き裂かれ、ゆがみ、捻れていく叫喚をあげながら、駆逐艦はなお
もどんどん潰れていき、とうとう亜里沙の指は、間に一枚の板状になった駆逐艦の残骸を
挟んでぴたりとくっついてしまった。
「あらら。軍艦って柔らかいのね。そんなに力を入れていなかったのに、あっさりつぶれ
ちゃうなんて。」亜里沙は右手を目の前にもってくると、残骸を摘んでいる人差し指と親指
の指先を、すり合わせた。板状となった駆逐艦の残骸は、まるで鼻くそか何かのようにク
ルクルと丸められて、とうとう一個の鉄球と化してしまった。
「ふん」亜里沙は鼻であざ笑うと、指先で鉄球をピン、とはじき飛ばした。駆逐艦の残骸
は、数キロメートルを飛行して、盛大な水柱と共に海に落下した。
「さて、みなさんどうしますか?姿もロクに見えないほどちっぽけなクセに、こんなに大
きな私と、まだ戦うつもりですか?」亜里沙は両手を腰に当てると、胸を張ってアメリカ
艦隊を見下ろした。目の前で起きた惨状に、艦隊の全ての人々は発狂寸前の恐怖をおぼえ
ていた。だが、戦う以外に、事前に練り上げたプランに従って全力を尽くす以外に、生還
できる望みはない。発艦に成功した飛行隊は攻撃態勢を整え、艦隊は散開しつつ亜里沙に
砲火を向けようとした。その動きは、亜里沙からもハッキリと見て取れた。
「まあ、やっぱり戦うつもりなのね。メダカみたいなちっちゃな船に乗っているクセに、
なんて愚かなコビトたちかしら。」再び声を上げて、嘲笑する。
「いいわ。大きなお姉さんと、それほど遊びたいって言うのなら、遊んであげましょう。」
 亜里沙は、改めてアメリカ艦隊を見下ろした。目をきらきらと輝かしていた。思わず表
情がほころんでしまう。楽しくて仕方がなかった。ちっぽけな人間が操るちっちゃな船達
は、白い航跡をくるくると描いて、真っ青な海面をちょこちょこと走り回っている。大小
様々な船が、私の脚もとで右往左往しながら、その中では小さな小さな人間達が、恐怖と
必死に戦っている。そして、何万人もの人々の視線が、はかりしれない恐怖と共に、私を
見上げている。なんて素晴らしい。亜里沙は、大勢の人々に見上げられるのが、この上も
なく好きだった。もっと、もっと視線を浴びたい。そのためにはこびとたちに、もっとも
っと恐怖と絶望を味わわせてあげないと。
 亜里沙が、次はどんな遊びをしようかと考え始めた時、アメリカ艦隊はついに、攻撃の
火蓋を切った。全ての艦船の上に白煙とオレンジ色の炎がきらめき、何百発ものミサイル
が一斉に発射された。数秒と経たずに全弾が、亜里沙の主として腰のまわりに着弾した。
巨大な爆発が連続し、亜里沙の姿は、一瞬爆煙に包まれて海上からは全く見えなくなった。
凄まじいばかりの集中攻撃だった。逃げ出す艦艇など、一隻もなかった。
 二隻の戦艦も、16インチ砲を斉射した。海面を衝撃波が走り、オレンジ色の発砲炎が海
上に長く吹き伸び、白煙が盛大に上がる。
亜里沙が煙に包まれているとは言え、レーダー制御の16インチ砲は、目標を外さなかっ
た。各1㌧の重量を持つ18発の徹甲弾の全弾が命中し、煙の向こうで次々と爆発の閃光
がきらめいた。攻撃に携わる全ての人々は、あまりに凄まじい自軍の攻撃に勇気を取り戻
し、なおも攻撃を続行した。亜里沙の体の上に、ますます多くのミサイルや砲弾が炸裂し、
これほど巨大な亜里沙の全身が、爆煙にすっかり包まれてしまうほどだった。
 やったか。多くの人々が期待を取り戻しかけた。だが、その期待を冷酷に踏みにじるよ
うな、雷鳴のような声が、膨大な量の爆発音すら圧倒して、海上に響き渡った。
「期待していたんだけれど、やはりこびとさんにはこの程度が精一杯のようね」くすくす
と笑っているような声だった。と、次の瞬間、天空が引き裂かれた。亜里沙が、吸い込ん
だ息を、唇をすぼめて下界に向かって吹き出したのだった。
「ふーっ!」
 あれほどものすごかった爆煙が、亜里沙の吐息にあっさりと吹き払われて、海上に吹き
下ろし流れ去っていってしまった。何隻かの小型艦が、その暴風に煽られて転覆しそうな
ほどに揺れ動いた。海上には、まるで嵐のような大波が起こり、攻撃に没頭していた何百
人もの兵士達が海上に投げ出され、亜里沙の吐息が起こした大波に飲まれて海中に消えて
いった。
 煙がすっかり晴れると、あれほどの攻撃にも怪我どころか傷一つついていない、亜里沙
のまぶしい程に美しく、目もくらむほどに巨大な体が現れた。両手を、くびれた腰に軽く
当て、文字通り山のように豊かな胸を誇らしげに張り、海面のアメリカ艦隊を見下ろして
いる。
「さて、じゃあそろそろ私の方から遊んであげようかしら。」再び、間近の雷鳴のような声。
亜里沙は小腰をかがめて、アメリカ艦隊をのぞき込むようにした。両手を腰から外し、艦
隊の方に伸ばそうとする。ミサイル駆逐艦の運命を知る全ての人々の胸を、はかりしれな
い恐怖が押しつぶした。だが、艦隊にはたった一人だけ、これだけの事態にすら、いまだ
闘争心をふみ潰されていない人間がいた。

「今だ」カールヴィンソンのブリッジで、ブラウン提督が叫んだ。その声が聞こえてでも
いたように、絶妙のタイミングと角度で、上空で待機していた攻撃隊が亜里沙の両耳に一
斉に襲いかかった。
 混乱の中、発艦に成功した合計40機を越える攻撃機のそれぞれのパイロットは、照準
器いっぱいに、亜里沙の直径十五メートルもの耳の穴を捉えた。長さ千メートル以上もあ
るセミロングのヘアーは、上空を流れる強い風に煽られて、後頭部に向かって流れている。
亜里沙の耳の穴は、彼らの前にむき出しで晒されていた。

「オーケイ、みんなわかってるな?落ち着いて狙えよ。絶対に外すな。全弾残らずぶち込
んでやるんだ!」ヘッドセットから、攻撃隊長の声が響く。ジャン大尉も、ヘルメットの
バイザーに表示されている照準環に、亜里沙の左耳を捉えていた。汗まみれの額をぬぐう
ことすら出来ない。亜里沙の巨大な耳の穴が、見る見る巨大に迫ってくる。彼の指が、操
縦スティックの発射ボタンの上をさまよった。

「いまだ、全機ミサイル発射!」
 隊長の号令と共に、殺到する攻撃機群から、厚さ十メートルの超強化コンクリートすら
易々と貫通する、バンカーバスター弾が発射された。攻撃機の翼から、盛大な白煙が一斉
に吹き上がり、計80発ものミサイルは、過たず亜里沙の両耳の穴に向かって超音速で突
進した。事前の計画通り、鼓膜を貫通後、亜里沙の脳に最も近い場所で核弾頭が起爆する
ことになっている。
 本来は、艦隊から遙か離れた場所で使用するはずだったバンカーバスターだが、亜里沙
の方からやってきてしまったのでは仕方がない。核爆発が艦隊を危険にさらす、という懸
念はキャンセルされた。そんなことを言っていられる戦況ではない。この攻撃が失敗すれ
ば、もはや希望はない。だからパイロット達は、非誘導型のバンカーバスターを絶対に命
中できる距離、標的からわずか千メートルで発射した。彼らの必死必殺の攻撃だった。
 ジャンも僚機からわずかに遅れて発射ボタンを押そうとした。その瞬間だった。まるで
間近の落雷のような、亜里沙の凄まじい声が響き渡ったのは。
「見えてないとでも思った?」冷酷に嘲るような声と共に、亜里沙の巨大な頭部が、サッ
と右に振り向いたのだ。
 長さ千メートル超、直径およそ30センチ。亜里沙の、十数万本のサラサラの髪の毛が、
音速を遙かに上回るスピードで長大な半円を描き、髪の毛それ自体と、それが発生する衝
撃波とが、亜里沙の頭の左側に突入してきたミサイルと攻撃隊のほとんど全てを瞬時に粉
砕し、なぎ払った。
 その時、ジャンのホーネットは編隊の上方に位置していた。照準環いっぱいの巨人の頭
部が、突然向こう側に向かって旋回し、ジャン達の右手から、まるで横殴りの津波のよう
に、亜里沙の髪の毛が押し寄せてきた。全ての攻撃機で、レーダー連動の衝突警報装置が
作動し、全自動でパイロットを射出した。脱出シートは内蔵ロケットの力で百メートルほ
ど上昇し、パラシュートを開こうとしたが、襲いかかる亜里沙の髪の毛に、全てなぎ払わ
れて粉みじんにされていった。悲鳴を上げる暇もないほどだった。ただ一人、ジャンのシ
ートだけが、毛髪の津波を逃れる事に成功した。推力を失ったロケットの惰力で、回転し
ながら上昇していくジャンは、自分の乗機が、そして大勢の仲間達が、横殴りになぎ払っ
ていく黒い大津波に、一瞬のうちに粉砕されていくのを見た。左翼の攻撃隊は、一瞬で全
滅した。
 何も考えることが出来ないほどの衝撃。魂が消し飛ぶほどの恐怖だった。その恐怖が、
ジャンの喉から叫びの形をとって吹き出そうとした。酸素マスクの内側で、大きく口が開
く。もし、そのまま叫んでいたら、彼は発狂していたかも知れなかった。
 だが、一瞬早くシート内蔵のパラシュートが開き、ジャンの姿勢を無理矢理180度回
転させた。世界がぐるっと一回転し、ジェットコースターのようなショックが彼の恐怖の
絶叫を喉に押し込めた。かろうじて、彼は正気を保った。

「あなた達にも、お仕置きね」一方、右側の40人のパイロット達は、眼前の視界全てを
占領する巨大な亜里沙の笑顔を見た。そして、その唇が、まるでキスでもするようにすぼ
まると同時に、彼らの存在も意識も、一瞬に砕けて消滅した。
「フッ」亜里沙は、眼前に迫った攻撃隊に向けて、軽く吐息を放った。だがその吐息は、
猛烈な突風と衝撃波となって、最後の攻撃隊を粉みじんに粉砕した。
 攻撃機もミサイルも、艦隊の全ての人々の眼前で、亜里沙の吐息を浴びてまるで目に見
えない壁にぶち当たったように弾き飛ばされ、叩き潰されて散り散りに落下していった。
遙か下方、海面の艦隊からは、まるで灰か粉を吹き飛ばしたように見えるほど、あっけな
かった。アメリカ太平洋艦隊最後の希望は、こうしてあっさりと抹殺された。

 パラシュートは正常に作動し、ジャンの座っている脱出シートはゆっくりと降下してい
った。降下が安定すると、ジャンは左腕の腕時計を見た。横須賀に勤務していたころ、ア
キハバラで買ってきたアウトドア用の時計だ。高度計が付いている。表示はほぼ二千七百
メートルだった。
 降下につれて椅子がゆっくり回転し、ジャンの視界に亜里沙の後ろ姿が入ってきた。彼
の現在の高度は、巨人の首から肩くらいだ。巨人は彼に背を向けている。どうやら、気付
かれてはいないようだ。とりあえず助かったが、このあとどうなるのだろう。この状況で
は、例え無事に着水したとしても、救命艇など来てくれそうにもない。
 俺たちの攻撃が失敗した以上、艦隊そのものの運命も、これだけの巨人を相手にしては
風前の灯火だ。オレはどうすればいい。このまま死にたくなどない。なんとしても生きて
帰らなくては。だが一体どうすれば。
 彼の心配は、意外な形で解消された。降下していた彼の脱出シートが、突然上昇を始め
たのだ。ジャンは慌てて上を見た。彼のパラシュートが、くしゃくしゃになって絡まって
いる。絡まっている?一体何に?
 ジャンの目に写ったのは、黒い、太い、そして長い物体だった。直径三十センチほど。
真っ黒で、しなやかにうねり、長さはどれだけあるのか見当も付かない。ジャンは思わず、
黒い物体に沿って目線を動かした。そして、その物体が巨人の髪の毛であることに気が付
いた。風にながされてきた巨人の髪の毛に、ジャンのパラシュートは絡め取られてしまっ
たのだ。長さ千メートルもの髪の毛は、それが受ける膨大な風圧によってまきあげられ、
髪の毛と比べれば無いに等しい重量の彼のシートを、一緒に上空に運んでいるというわけ
だった。
 オレは、髪の毛一本と比べてすら、問題にもならない存在なのか。この巨人は、一体何
という大きさなのだ。やれやれ。
 ジャンは、喉の奥から笑いがこみ上げてくるのに気がついた。自分たちがどういう存在
に挑もうとしていたのかが、実感として理解できたのだった。人間など、オレなど、彼女
からすればなんという小ささなのだ。ノミどころじゃない。もしかしたら、目にも見えな
いほどの微生物に過ぎないのではないか。この小ささに一つだけ利点があるとすれば、彼
女がオレに気が付くことなどあり得ない、そんなところか。
 亜里沙は、髪の毛に絡まったちっぽけな存在には気付いていなかった。下界で見上げる
艦隊の全ての人々も、同様だった。なぜなら、攻撃隊が全滅したことで、彼らの希望がな
くなったことの方が、遙かに大きな出来事だったから。

 あまりの出来事に人々が呆然としている間に、亜里沙は行動を開始した。腰をかがめ、
上半身を大きく倒し、手に届く範囲の艦艇を一隻ずつそっと摘み上げると、艦底部のスク
リューを、指先で軽々と払い落し、もとのように海面に戻し始めたのだ。最初に摘み上げ
られたイージス巡洋艦タイコンデローガの人々は、鉄球に丸められたミサイル駆逐艦を思
い出し、死にものぐるいでミサイルを発射したが、亜里沙は人間の必死の攻撃などまるで
無視して、指先でスクリューをポキポキとへし折ると、イージス艦が転覆などしないよう
に、そっと海面に戻した。
 ひとまず助かった。艦上の誰もがそう思った。だがイージス艦は、もはや自力では一切
前進できなくなり、動き回る亜里沙が巻き起こすものすごい大波にただ揺れ動くだけの存
在と化した。それはちょうど、女の子の浸かるバスタブに浮かべられたオモチャのような
ものだった。
 亜里沙は、鼻歌を歌いながら、作業を続行した。周囲の艦艇がどれだけ揺さぶられよう
が全く意に介さずに、新しい艦艇を捕まえるために、太腿ほどの深さの海をジャブジャブ
と歩き回り、大波で翻弄されるオモチャのような軍艦をひょいと摘み上げスクリューをへ
し折っては初めのイージス艦のまわりに並べていく。

 「うわああああ」ちっぽけな艦艇を摘み上げるために、亜里沙が腰をかがめたために、
ジャンの絡まっていた髪の毛が、それまで位置していた背中を離れ、胸の前側に垂れ下が
った。ジャンは、目もくらむような奈落の底を見下ろした。眼下の海では、亜里沙の手と、
逃げ回る艦艇が鬼ごっこを繰り広げていた。皆、たいした抵抗も出来ずにあっさり摘みあ
げられている。その時、下界の視界を遮って、ものすごく巨大な塊が足の下からせり上が
り、ジャンの体を何百メートルも一気に持ち上げた。それは、文字通り山のような乳房だ
った。亜里沙が体を起こしたために、ジャンのシートが巨大な乳房に乗ってしまったのだ。
 ジャンは、乳房のあまりの巨大さに、声も出なかった。胸板から、優に三百メートル以
上も前につきだしている巨大な丘の上に、彼は乗っていた。その先の方には、野球のグラ
ウンドほどもあるピンク色の低いドームが広がり、さらにその中央には、十階建てのマン
ションに匹敵するほどの大きさの、乳首が揺れているのだ。彼の体は、「乳房山」の中腹に、
宙づりにされて引っかかっていた。
 その時、ジャンはふと、グローブを外して手を伸ばし、亜里沙の素肌に直接触れてみた。
柔らかかった。これは、間違いなく女性の乳房の手触りだ。だが、これだけ巨大なものが、
どうしてこんなに柔らかいのに形を保っていられるのだ。
 その時、亜里沙が再び腰をかがめたので、ジャンは再び遙かな上空に宙づりにされてし
まった。

 それぞれの艦艇は、今や必死で逃げまどうだけだった。だが全速で逃げようとしても、
亜里沙の動きにつれて、そのたくましい太股が起こす、もはや冗談のような大波でまとも
には走れず、また亜里沙自体の移動速度が艦艇より遙かに優っているために、ただの一隻
も逃走に成功しなかった。そして、いったん摘まれれば、駆逐艦のような比較的小型の艦
艇はもちろん、巨大な戦艦やさらに大きな航空母艦ですら、まるで重量などないかのよう
に、軽く二本の指で摘み上げられ、スクリューをへし折られるのだった。
 亜里沙の行動の理由は、誰にでも理解できた。この巨人は、艦隊の全艦艇、一隻たりと
もここから逃がすつもりなどないのだ。それだけではない。逃げられなくしてから、一隻
一隻をオモチャにして、ていねいに遊ぶつもりなのだ。摘み上げた瞬間に握り潰さないの
が、何よりの証拠だった。亜里沙の、まるで小さな子供のような無邪気な作業が持つ、恐
るべき意味が、人々の胸を絶望でふさいでいった。
 亜里沙は、スクリューを破壊した船を、次々とイージス艦のまわりの海面にまとめて浮
かべていった。逃げられなくなった艦艇の全ての人々は、新たな獲物を求めて動きまわる
亜里沙の、巨大な、たくましい、引き締まった、純白の下着に覆われて、なまめかしく揺
れ動く、神のように壮大なヒップを、ただただ見上げる事しか出来なかった。救命ボート
で逃げ出すことなど論外だった。海面は、ボートを下ろすことも出来ないほどに荒れ狂っ
ている。
 大艦隊の自由を奪うという壮大な作業は、たったの五分であっさり終了した。亜里沙に
とってはホンの遊びのようなものだった。南海の日差しに照らされて、亜里沙はわずかに
汗を掻いていた。右手をあげて、額をぬぐう。快晴の青空を背景にしたその姿は、状況に
かかわらず見上げる人々全ての胸を打つほどに美しく、溌剌とした若さと、女性的魅力に
満ちていた。
「さてと。」亜里沙は、両手をパンパン、と払うと、自分の後ろにまとめておいたオモチャ
の艦隊を振り返り、両手を腰に置くとにっこりと微笑んだ。
「じゃ、そろそろお仕置きを始めましょうか。なに、しようかな。みなさん、どうやって
お仕置きをして欲しいですか?」亜里沙の口から舌先が覗き、軽く唇を舐めるのを目撃し
た人々の背中を恐怖が走った。まさか、俺たちを食べるというのか。人間である俺たちを。
だが、駆逐艦の運命を思えば、あり得ない話ではなかった。この巨人は、我々を同じ人間
などと思っていない。彼女からすれば、俺たちなどアリ以下、いや、大きさからすればノ
ミやシラミにすら遠く及ばない、ちっぽけな微生物に過ぎないだろう。それにあの口。幅
百メートル近くもありそうだ。あの口なら、俺たちどころか船ごとだって一飲みに出来る
だろう。助けてくれ、そんな死に方はイヤだ。お願いですから助けてください。勘弁して
ください。誰もが、巨人が最初にどの艦に手を伸ばすかと、必死のまなざしで亜里沙の巨
体を見上げた。
 亜里沙が手を伸ばしたのは、最初に捕まえたイージス艦だった。指先までの全長六百メ
ートル近い手のひらが、指を広げ、上空を覆って、押しのける膨大な大気が生みだす風の
唸りをあげながら迫り、イージス艦の周囲を大きく、暗い暗い影が覆いつくし、艦とほぼ
同じ長さの人差し指と親指で、ミサイル駆逐艦と同様に前後から摘み、鋼鉄が軋む音や人々
の絶叫をまき散らしながら、遙か高空にひょい、と運び去っていく。人々は改めて、亜里
沙の巨大さに目を見張った。亜里沙はイージス艦を顔の前にもってくると、ブリッジをの
ぞき込んだ。
「こびとさんの船はとっても柔らかいから、潰さないように摘み上げるのも一苦労だわ。
でも、本当はどれくらい柔らかいのかしらね。ちょっと、調べてみましょう。」そういうと、
指とほぼ同じ長さの、だが指より遙かにか細いイージス艦を自分のバストの前にもってく
る。
「私の体で、一番柔らかい部分と比べれば、きっとよくわかるわね。そうだわ。早速試し
てみましょう。」その艦の中に閉じこめられている人々の絶望に溢れた思いなどまったく無
視して、くすくすと笑っている。
「さ、頑張ってちょうだいね。」そう言いながら、亜里沙はブラに包まれた豊かなバストの
谷間にイージス艦を軽くはさんだ。艦は、舳先を亜里沙の胸板に向けて、柔らかく豊かな
乳房の肉の山の間に、しっかりと保持された。

 何人かの乗組員が、乳房の中腹で髪の毛に引っかかっているジャンに気が付いた。だが、
どうすることも出来ない。それはジャンも同様だった。ジャンにしてみれば、巨大な軍艦
に乗っている方がまだしも安全なような気がしたが、それは間違いだった。頭上から、亜
里沙の声が爆発音のように響き渡った。

「軍艦って、どんなに小さくたって、鋼鉄製なんだもの。まさか、女の子のオッパイでつ
ぶれてしまう、なんて事はないわよね。」亜里沙はバストの外側に両手を添えると、真ん中
に向かってゆっくりと寄せ、押しつけ始めた。目は、自分の胸元を見下ろしている。
「それにしても、ホントにちっちゃなお船だわ。私のおっきなオッパイで、楽々隠れちゃ
いそう。」
 巨大で柔らかい乳房の肉が、ブラの中で寄せられ、大きく盛り上がり、排水量一万㌧の
イージス艦を、四百人の乗員もろともに飲み込んでいく。幅十七メートル、亜里沙にすれ
ばわずか5ミリ少々に過ぎない船体は、膨大な量のバストの肉に圧されて、ぎしぎしミシ
ミシバキバキと潰れていき、イージス艦はゆがみ圧縮されながら、なおも盛り上がり続け
る乳房の谷間に飲み込まれていった。
「あらあら、とうとうゼーンブ見えなくなっちゃった。」船体の全てが、盛り上がる肉の谷
間に隠れてしまうと、亜里沙は両手の力を緩め、右手の指先をバストの谷間に差し入れ、
イージス艦の残骸をつまみ出した。つい二分前まで世界最強の軍艦の一隻だったイージス
艦は、今や、指先にひらひら揺れる一枚の金属板になりはてていた。
「柔らかいとは思ってたけど、女の子のバストでこんなになっちゃうなんて。」先ほどと同
じように、亜里沙がクルクル指をすり合わせると、イージス艦の残骸も同じくあっさりと
丸められて鉄球と化し、亜里沙の指先ではじき飛ばされてしまった。
「こんなにちっちゃくて柔らかい軍艦に乗って、わたしに刃向かおうとしたなんて、なん
てお馬鹿なコビト達かしら」亜里沙は再び、今やただ浮かんでいるだけの存在になったア
メリカ艦隊を見下ろし、あざ笑った。
「もう一回やってみましょう。今度はもう少し手加減してあげるからね。」そう言いながら、
亜里沙はイージス艦よりやや小型のバーク級駆逐艦を摘み上げた。イージス艦と同様、ブ
ラに包まれた豊かな胸の谷間に挟み込む。絶体絶命の駆逐艦からは、ありったけの機銃や
砲が火を吐き続けていた。砲弾は周囲の乳房の表面に次々と命中し、爆発しているが、亜
里沙は全く無視して、ニコニコと笑っている。
「今度は手を使わないであげるから、頑張ってね。いい?じゃ、行くわね。さん、にい、
いち、ふんっ」亜里沙は、大きく息を吸い込んだ。すると、ブラの内側で乳房が大きく盛
り上がり、駆逐艦はその谷間にあっという間に飲み込まれ、見えなくなってしまった。
「さ、今度はどうかしら。大丈夫かなぁ?」亜里沙は息を吐き出すと、胸の谷間から駆逐
艦を取り出す。鋼鉄製のはずの駆逐艦は、哀れイージス艦と全く同様に、ぺちゃんこの金
属板と化しており、またまた同じく亜里沙の指先によって丸められ、はじき飛ばされて海
に消えた。
「ホントに、どうしようもなく弱いのね。そんな武器でわたしに刃向かおうなんて。お馬
鹿さん達はちゃんと教育してあげないといけないわね。」
 言いながら、亜里沙は感じていた。数万人の人々の視線が、痛いほど突き刺さる。気持
ちよかった。痛いような、切ないような、何とも言えない心地よさだ。その刺激が、東京
での最後の夜を思い出させた。体の中心が、少しずつ少しずつ、疼きはじめるのがわかっ
た。亜里沙の胸は、敏感だった。二隻の軍艦を挟んで潰した感触も、心地よいものだった。
だが、もう少し刺激が欲しい。はじめにお仕置きした、ちっちゃなお船のオッパイ攻撃、
あれ、なかなかいい気持ちだったわ。あれをもう一回やってもらおうかしら。
 亜里沙は背中に両手を回した。す早く幅百メートルものホックを外し、ブラジャーを取
り去った。豊かに充実したバストが、風を巻き起こしながら、ゆっさぁっ、とばかりに揺
れ、その巨大な姿を陽光の下に露わにした。
 乳房の揺れが起こした上昇気流が、いくつもの雲を作りだし、亜里沙のバストをしばし
覆った。雲は、亜里沙の巨乳の表面に濃い影を落しながら、上空の風にゆっくりとながれ
ていく。その下から現れた肌は、南洋の明るい日差しの中で、日に焼けていない白さがま
ぶしいほどだった。
 乳輪は、バストの表面より高さにして五メートル、亜里沙のスケールでほんの二ミリ弱
ほど膨らみ、みずみずしいピンク色にしっとりと輝いている。直径は、九十メートルほど
だろうか。その中心に突き出ている乳首は、つん、と上を向いている。乳房全体からすれ
ば控えめな大きさだったが、それが乳輪に落す影は深く、見上げる印象とは全く異なるそ
の巨大さが窺われた。亜里沙は、ブラジャーを下界に向かって放り投げた。
 ごおおおおおおおおお。
 ブラは、大気を切り裂くうなりをあげながら、遙か下方の海面に向かって落下していっ
た。片方のカップは、一辺が三百九十メートルの、ほぼ三角形をしていた。ワイヤー入り
のブラだった。底辺を縁取っているワイヤーは、直径十メートル程の太さがあった。
 たっぷりと時間をかけて落下してきたブラは、凄まじい水しぶきを上げて着水した。た
またまその下にいた二隻の駆逐艦が、左右のカップにそれぞれ一隻ずつ捉えられた。幸い、
ワイヤー部分は直撃せず、カップの部分がゆったりと余裕たっぷりに、2隻の船体を覆っ
ただけだった。間近で見るブラは、かわいらしいレースがあしらわれた、女の子らしいデ
ザインだった。だが、カップを縁取る、一辺あたり数十個の、ほんの小さなレースの一つ
一つが、長さ十メートルを超すアーチ状の構造をなしていた。少女らしいデザインとは全
く裏腹に、非現実的なほどの巨大さなのだった。
 ドーム球場の十倍もの面積のカップの下で、白い天井に閉じこめられた2隻の駆逐艦の
乗員達は、直撃を免れた幸運を喜ぶよりも、亜里沙が身につけていた下着の、あまりの巨
大さにあきれかえるばかりだった。そして、直撃されなかったことは、幸運でもなんでも
なかった。ブラが、それ自身の三百万トンを超える重さで、沈み始めたのだ。
 駆逐艦は、一隻あたりわずか八千㌧でしかない。のしかかる巨大な重量の下で、そのわ
ずかな浮力など、なんの役にも立たなかった。身動きすら出来ない艦の上で、あわてふた
めいて逃げまどう人々の頭上に、沈んでゆくブラカップがゆっくりと、容赦なくのしかか
って行った。亜里沙の巨大な乳房の重みを支えてきたきわめて強固なブラの内側が、マス
トをへし折り、レーダーアンテナを押しつぶし、ブリッジをくしゃくしゃと圧壊させ、砲
塔を押しつぶし、船体を押し沈めていった。まもなく、2隻の駆逐艦はブラの重みに全く
抵抗できずに、あっけなく海中に引きずり込まれてしまった。
 ブラが沈んでしまうのを見届けると、亜里沙は手を伸ばして2隻の戦艦を拾い上げ、右
の手のひらに載せた。それぞれ、排水量は四万五千㌧、全長270メートルを超える巨艦た
ったが、亜里沙のスケールでは長さ9センチにも満たない。2隻並べても、亜里沙にとっ
てその重さは、3グラムにも満たない儚さだ。亜里沙は、右手を目の近くにもちあげ、声
をかけた。
「あなた達に一つ、お仕事をあげるわね。でも、ちっちゃくてお馬鹿なこびとさん達には、
上手くできるかしら?」そう言って、亜里沙は戦艦の内一隻を、左手の指先で摘み上げる
と、むき出しの右乳房の前に下ろした。
「あなたのご自慢の大砲で、私の乳首を喜ばせることが出来るかしら?」笑いを含んだ声
だった。
「私の乳首は、とっても敏感なのよ。だから、がんばってね。でも、あなた達は本当にち
っちゃいから、全力でやらなくては、ダメかも知れないわよ」亜里沙は、くっくっ、と笑
った。それに合わせて、目の前の右の乳首が小刻みに震えた。
「もちろん、女の子を喜ばせるやり方くらいは、知っているわよね?」
乳房を目の前にした戦艦のブリッジでは、目の前の巨大な乳首に、皆声を失っていた。
脳髄の芯が麻痺するような恐怖に、誰一人まともにものを考えることすら出来ないでいる。
彼らに突きつけられている乳首は、みずみずしいピンク色に輝いていた。わずかに勃起し
ているように見える。サイズを考えなければ、何とも魅力的な乳首だった。
 だが、男を魅了して止まないその乳首は、直径だけで既にこの戦艦の全幅を越えている
のだ。そう理解されると同時に、彼らの心の中でそれは魅力的な存在から、恐怖の象徴へ
と姿を変えた。
 乳首を撃つように命令されてから、たっぷり十秒ほども経って、やっと一人の士官が口
を開いた。
「か、艦長、どうしましょう」副長が、おずおずと艦長に尋ねる。
「あ、ああ、だが一体」どうすればいいんだ、という艦長の声は、頭上から降り注ぐ百の
雷鳴を束ねたような亜里沙の声で、かき消された。
「あらあら、こびとさん達は、私の命令が聞けないのかしら?じゃあしょうがないわね。
役に立たないおちびは要らないわ。」亜里沙はそう言うと、ニュージャージーを摘んでいる
指先に、ゆっくりと力を加え始めた。戦艦の頑丈な船体が、そして分厚い装甲が、ぎしぎ
しと軋み始める。ブリッジのクルーは、パニックに陥った。
「し、主砲発射準備、急げっ!」艦長の恐怖で裏返った声に、周囲の士官達が慌てて動き
始める。水圧機の轟音をあげながら、千トンを遙かに超える主砲塔が、亜里沙の乳首に向
けてゆっくりと旋回を始めた。エレベーターに乗って、弾薬庫から素早く上がってきた、
重さ一トンを超す強化弾が、次々と装填される。長さ二十メートルもの砲身が、至近距離
の亜里沙の乳首にねらいを付けようと、仰角をかけ始めた。間に合うか、間に合ってくれ。
艦上の誰もが、艦よりも巨大な亜里沙の指が、見る見るうちに装甲板にめり込んでいく様
子を、歯がみする思いで見つめた。
 だが、何もかもが手遅れだった。亜里沙の指先は、頑丈な船体をまるでアルミフォイル
のように押し潰していく。突然、旋回中の主砲塔が中途半端な位置で急停止した。砲塔を
旋回させる水圧機が、過負荷に悲鳴を上げ始めた。艦内電話の受話器を握っていた副長が、
絶望的な声を上げる。まるで泣き声のようだった。
「ダメです!バーベットが変形して、これ以上主砲の旋回が出来ません!」
「なにいっ?な、な、なんとかならんのかっ」艦長が怒鳴った。
「無理ですっ」副長も負けずに怒鳴り返す。そうでもしていなければ、到底正気など保て
そうもなかった。しかし、叫び返す副長の目は既に冷静さを完全に失い、飛び出しそうな
ほど見開かれている。
「バーベットの応急修理なんて、どうしろというんです!」
 そうしている間にも、戦艦は中央部を摘んだ亜里沙の指先で、キリキリキリキリと、金
属質の騒音を上げながら、潰されていく。一基の主砲塔が、潰され、ゆがんでいく甲板に
持ち上げられて台座を外れ、中の人間もろとも遙か下界に転げ落ちていった。あちこちで
爆発が起き、発生した火災は人々を瞬時に焼き殺していった。
 今や全くの無意味であるにもかかわらず、勇敢にも消火に駆けつけようとした応急班は、
変形していく船体に挟まれて、火災現場にたどり着くこともなくあちこちで絶叫をあげな
がら潰されていった。海上数千メートルもの高空に持ち上げられ、潰されていく彼らには、
逃げ場所などどこにもなかった。
 巨大な戦艦の船体が、金属があげる絶叫のような破壊音とともに、くの字型に曲がり始
めた。すると亜里沙は、今度は船体丸ごと、人差し指で右の乳首に押しつけた。膨大な乳
房の肉に、鋼鉄製の船体がメキメキとめり込んでいく。まるで肉でてきた海に沈んでいく
ようだった。
「あ・・・」
亜里沙の口から吐息が漏れた。亜里沙の乳房を、そして全身を微かなふるえが走った。ひ
んやりと冷たくて、固いような柔らかいような、何とも言えない気持ちよさだった。
「あん」再び声が漏れ、指先に加える力がつい強くなってしまう。人差し指に押し込まれ
て、折れ曲がった戦艦は、亜里沙の巨大な乳房にますますめり込んでいった。だが、まだ
十分ではない。もう少し、もうちょっと強い刺激が欲しかった。亜里沙は、今度は指先で
なく、左の手のひら全部を使って、戦艦ごと右の乳房を愛撫し始めた。指先が乳房の柔ら
かい皮膚にめり込み、文字通り山のようなサイズのバストを揉み、なでさすり、変形させ
る。膨大な重量の乳房と、長さ半キロを超える手のひらの間で、かつて戦艦であった鋼鉄
の固まりは、もみくちゃにされ、たちまちその原型を完全に失った。圧縮された弾薬庫の
砲弾が、次々と誘爆し、乳房の表面で凄まじい爆発を繰り返す。
「うふうん」爆発が亜里沙の性感を刺激し、ぐしゃぐしゃの金属塊と化した戦艦はバスト
と一緒に揉まれ、砕かれていった。手のひらの上のもう一隻の戦艦の乗組員たちは、その
光景を目の当たりにした。潰されていく僚艦の人々の悲鳴を聞き、潰れていく金属の叫喚
を聞いた。そして、この巨人に逆らえばどういう目に遭わされるのか、全員が脳に杭を打
ち込まれるような明確さで理解した。その時、船体がグイ、と上昇し、戦艦は亜里沙の目
の高さに持ち上げられた。湖を思わせる巨大な瞳がブリッジをのぞき込み、再び百の雷鳴
がとどろいた。
 「あなた達は、どうするの?私が言ったやり方で喜ばしてくれるの?」巨大すぎて、亜
里沙の表情を見わたすことなど出来ない。だが、肌の色はピンク色に上気している。おそ
らく興奮しているのだろう。それだけはわかった。亜里沙が、言葉をついだ。
 「それとも、もっと別の方法がお好みかしら?例えばこっちのお船のような?」そう言
って、亜里沙は戦艦の残骸がこびりついた右の乳房を指さした。
 今度の戦艦の反応は早かった。主砲塔が一斉に亜里沙に向かって旋回し、そこで待機す
る。亜里沙はにこりと笑うと、戦艦を載せた手のひらを自分の左乳房の前に下ろした。
 主砲の射界に亜里沙の乳首が入ると同時に、9門の主砲が一斉に火を噴いた。そして全
弾が、ねらいを過たず亜里沙の左乳首を直撃した。
「あはっ」亜里沙が喜びの声を上げる。戦艦の主砲は、三十秒に一回ずつ、斉射を放った。
全力の射撃だった。主砲発射の合間には、両用砲や巡航ミサイルが乳首への射撃を続行し
た。巨大な戦艦が備えた全ての火器が、亜里沙の乳首を喜ばせるためだけに、全力で火を
吐き続けた。
「あん、あん、ああん」亜里沙の声も、いっそう高まってくる。射撃を続けながら、戦艦
の乗組員達は次第に安心感を高めていった。我々の攻撃は、この巨人を喜ばすことが出来
ているらしい。よかった。もしかしたら、このまま助かるかも知れない。戦艦の射撃は、
ますます激しさを増していった。すると、戦艦を載せている手のひらが、下がり始めた。
彼らの目の前に、亜里沙の乳房が、その下の腹部が、そして戦艦が楽に鼻先をつっこめそ
うなへそが現れた。助かった。とうとうやった、俺たちはまた海面に帰れる。乗組員達か
ら、いつせいに歓声が上がった。だが、それは全くの間違いだった。頭上から、亜里沙の
残酷なまでになまめかしい声が響いた。
「はあ、はあ、あなた達、とっても上手だったわ。おかげでわたし、はあ、はあ、すっか
り欲しくなってしまったの。だから、お願い、ね。」
 お願いだと。これ以上何をお願いしようと言うのだ。我々は全力でやった。もうこれ以
上何をやれと。
 その答えはすぐに、明らかになった。彼らの眼前に、亜里沙の下腹部が迫ってきたのだ。
亜里沙はいつの間にか、パンティーを下ろしていた。戦艦より巨大な女性自身が、百メー
トルもの陰毛に覆われた、どう猛な唇を二本の指でひらかれて、その奥の膣口を大きく覗
かしている。どろどろした愛液が、まるで滝のように溢れていた。
「うわああああ」乗組員全員が一斉に絶叫を上げた。船体が膣口に向かって上を向き、人々
は艦の後ろに向かってころころと転げ落ちていった。舳先が膣口に触れた。そのままぐい
ぐいとヴァギナに飲み込まれていく。溢れる愛液で、滑りはよい。巨大な船体が、全く問
題なく挿入されていく。
「ちょっと、細いかな?少し物足りないかも」やや息が荒くなった亜里沙の声が、人々の
絶望をさらにかき立てた。やはりこの巨人は、俺たちを膣に入れてしまうつもりなのだ。
 飲み込まれていく戦艦の、前甲板の主砲が最後の射弾を放った。三発の徹甲弾は、ちょ
うどクリトリスに命中して爆発した。
「あああああんっ」亜里沙の声が一段と高まり、戦艦の船尾に添えられた人差し指が、一
気に船体丸ごと膣に押し込んだ。閉鎖していなかった全ての開口部から膨大な量の愛液が
なだれ込み、乗組員達は洪水のような愛液に飲み込まれ、おぼれていった。亜里沙の膣の、
強力な筋肉がものすごい力で収縮し、戦艦の頑丈な船体を一気に押しつぶした。若く、敏
感な少女の肉体は、あっという間に絶頂を迎え、海上を、文字通り火山の爆発のエネルギ
ーをもった絶叫がこだました。

「ふう。」数分の後、亜里沙の興奮はゆっくりと去っていった。と同時に、心の中にほん
の微かな羞恥心が芽生えてきた。海上では、いまだに大勢のコビト達が私を見上げている。
その中で、恥ずかしいことをしてしまった。亜里沙は、膝まで下ろしていたパンティーを
はきなおすと、周囲を見回した。ブラジャーは、水中に沈んでしまって、どこにあるのか
わからない。
「これじゃ、恥ずかしいなぁ」亜里沙は、自分の羞恥心を声にだした。もっとも、心の
中では、そんなことなどあまり気にはしていない。胸を露出したままでいるのが、少し違
和感がある、その程度だ。周囲にいるのはどうせ姿さえまともには見えないようなコビト
達なのだ。だが、亜里沙はその芝居を続けることにした。
「なにか、私のおっきなオッパイを覆ってくれるものを探さないと。どこかにいいモノは
ないかしら。」人々の目線が、そして心が恐怖に凍り付くのが、ハッキリと感じられた。
「そうね。これがいいわ。」そういって、亜里沙はにこりと笑った。手を伸ばし、三隻の航
空母艦の内の一隻を摘み上げる。目の高さに持ち上げると、いつものように艦橋をのぞき
込んだ。
「ごめんなさいね、私のブラがなくなっちゃったの。だから、代わりになってもらうわ。」
そういうと、爪の先で空母の飛行甲板の先端を摘んだ。手入れの行き届いた巨大な爪が、
頑丈な船体構造物を突き破って飛行甲板をメキメキとめくりあげる。甲板上に残っていた
艦載機が、ずるずると艦尾に向かって滑り落ちていく。亜里沙は構わずに、どんどん甲板
をめくりあげていき、ぺろん、と船体から引きはがしてしまった。格納庫が、露わになり、
そこにいた人々は上空を覆ってのぞき込む亜里沙の巨大な笑顔を、言葉もなく見上げた。
「うふふ。あんまり見上げないでちょうだい。はずかしいから」そういうと、亜里沙は甲
板を無くした空母の船体を、自分の右の乳房にかぶせるように、重ねていった。乳房に押
しつけられ、船体の中にあったものは、人も機械も飛行機も、全て潰されていった。亜里
沙は手のひらを船底に押しつけると、乳房の局面になじませるように、船体を押し広げて
いった。ややきつめのカーブを描くように、指の動きで船体のゆがみを調整する。やがて、
空母レーガンであった物体は、亜里沙の右乳房を覆うブラカップへと変身した。
 空母の残骸が、自分の乳房にしっかりと貼り付いているのに満足すると、今度は空母ニ
ミッツを拾い上げて、同じように飛行甲板を引きはがし、左のブラカップを作り上げた。
「これでいいわね。どう?なかなかいい出来でしょう?」亜里沙は自分の胸元を見下ろ
すと、満足げに笑い、生き残りのアメリカ艦隊に自分のバストを見せつけた。

 ブラウン提督は、最後に残った空母カールヴィンソンのブリッジで、放心したように座
っていた。作戦参謀は、CICで最後の指揮を執っているはずだった。だが、それももは
や空しいものになるだろう。完敗だった。完璧に練り上げたはずの作戦だったが、大きな
見落としが一つだけあったことに、事ここにいたってようやく気が付いていた。
 俺たちが相手をしていたのは、巨人でも怪物でもなかった。あれは、そういうちっぽけ
なものじゃない。では、一体なんだ。
 女神、という言葉が脳裏をよぎった時、カールヴィンソンが、大きく傾いた。ブラウン
は、椅子の肘掛けを強く握りしめた。ものすごい重力がかかる。ブリッジの人々は、一斉
に床にうち倒された。巨人が、空母ごと俺たちを持ち上げたのだろう。もはや、驚きもし
なかった。
 大昔の船乗り達に比べれば。ブラウンの心に突然そんなことが浮かんだ。遠い海で、大
だこに襲われたり大海ヘビや巨大な海の主に船ごと食べられたり、あるいは滝のようにな
だれ落ちる海の果てに吸い込まれたり。そんな心配を本気でしていた連中と比べれば、そ
れほど大したことじゃないさ。こんな最後は。
 いつの間にか、船の揺れは収まっていた。ふと隣を見ると、ハートマン記者が立ってい
た。無言のまま、表情は硬い。目は、窓の外を見ている。視界の全てを覆い尽くして、巨
人の目がブリッジをのぞき込んでいた。
「我々が立ち向かおうとしていたのは」不意に、ハートマンが口を開いた。ブラウンは、
驚いたように、ハートマンを見やる。こいつ、オレと同じ事を考えていたか。
「なんだね」ブラウンの声は、完全に平静だった。それに答えるハートマンの声も、同様
だった。
「その、つまり、女神、というべきものだったのかな、と。」思わず苦笑してしまう。
「こんな時に、なんですが」
「いいさ。」ブラウンは、同じく苦笑いしながらそれに答えた。遠くから、大勢の悲鳴が聞
こえた。メキメキと、何かが壊れていく音が響き渡った。艦が再び、ぐらりと揺れた。
「実はわたしも、同じ事を考えていたんだ。我々は、畏敬という言葉を、使わなくなって
久しい。そんな言葉すら、忘れかけていた。」
「そうですね。畏敬、か。なるほど、私が今感じていることに、実にぴったり来る言葉で
す。こういう事を書いた記事を、本社に送れないのが本当に残念だ。」
 二人の周囲で、亜里沙の手のひらが原子力空母を握りつぶそうとしていた。遙かな上空
から見下ろす亜里沙の顔を、覆い被さる巨大な指が隠し、やがて世界が暗黒に包まれた。

10 新展開

 沈痛な面もちの大統領にむかい、統合参謀総長は、堂々とした態度を意識して維持しな
がら、報告を続けていた。
「現在、原子砲を装備した陸軍師団が八個、西海岸の要所に向かって移動中であります。
動員された州兵は、沿岸部の住民の避難誘導に当たっています。戦術航空軍は、半解体状
態で保管していた空対地戦術核ミサイルを整備、使用可能状態にもっていく作業中です。
こちらは、12時間以内に、完了するという報告であります。また、戦略航空軍では」ち
ら、と大統領の表情を窺った参謀総長は、自分の報告にもかかわらず、大統領の表情がゆ
るまないのに気が付いた。
「大統領、現在我が軍は、なし得る限り最良の戦備を整えつつあります。巨人に対して最
終的に使用可能になるのは、合計で7200メガトンという、膨大な破壊力であります。
これは、十分ご安心いただける数字であるかと思います。実際にはこの十分の一も、必要
とはしないでしょう。」
 大統領は、ゆっくりと顔を上げた。参謀総長は、ここぞとばかりに声を励まして続けた。
「たしかに、我々の艦隊は全滅させられました。しかし、あの戦闘に関して言えば、あま
りに突然に懐に飛び込まれたために、核の使用が出来ませんでした。しかし、次回の戦闘
は陸上戦であり、不意を突かれる恐れなど全くありません。核兵器は、通常兵器とは次元
の異なる破壊力を持ちます。大統領。世界最強の存在は、今も変わらず、我々なのです」
「ヨーロッパ連合、並びに中国、ロシアからも、わが軍の行動を全面的に支持する、とい
ってきているよ。」国防長官が口を開いた。「中東諸国も同意見、という報告が来ているよ。
だろ?」どうだ、といわんばかりに、参謀総長は笑みを浮かべる。それを見た大統領は、
心中密かにため息をついた。
 いつもこうだ。こいつのバックにいる国防長官が、参謀総長に何か言わせる時は必ず、
こちらに反論の余地がないほどに研究と根回しが済んでいるのだ。攻撃しろ、と皆が声を
そろえる。これは世界の危機だ。危険な存在は、徹底的に叩かなければならない。巨大女?
冗談ではない。世界の支配者は我々だ、というわけだ。他の閣僚も補佐官達も、EUの代
表までもが君の側。そうだな?ワルツェンハイマー国防長官どの。
 大統領である私とて、そう易々と世界の支配権を放棄するつもりなどない。それはいい。
だが、オレにはどうしても一つ、聞いておかなければならないことがある。最終的な攻撃
を決定する前に、な。これだけは言わせてもらうぞ。
「ところで参謀総長。一つ質問があるんだが」長い沈黙を破って、ようやく口を開いた大
統領に、参謀総長は、自信たっぷりに大きくうなずいて見せた。上司である国防長官の前
で、またポイントを稼げるのだ。だが、大統領は、意地悪く口をゆがめて続けた。
「あの巨大娘は、あとどれくらい巨大になれるのだね。」
「は、それは」意表を突く質問だった。参謀総長は、ややうろたえた。その後ろで、国防
長官の表情が硬くなっている。大統領は、そのわずかな隙を逃さなかった。
「君たちの説明では、東京での、三分の一マイルプラス、近辺がほぼ限界だろう、という
ことだったね。そのサイズになってからの活動時間がわずか六時間ほどであり、残りは銀
座の辺りに座り込んでしまったことからの予想だった。そうだね?」
 参謀総長に代って、国防長官は答えようとしたが、これについての検討を全く怠ってい
たことに気が付いた。なんというマヌケな話だ。当然考えてしかるべき問題だったはずな
のに。沈黙する参謀総長の姿に力を得て、大統領は続けた。
「太平洋艦隊を全滅させた彼女は、推定サイズ5000メートル超。ほぼ3マイルだ。海水
で体重がキャンセルされた、という説明なら願い下げだな。彼女は海底に、【立っていた】
んだからね。」手に持っていた軍の資料を、テーブルにやや乱暴に投げ出す。
 「どれだけ大きくなれるかわからん相手に対して、どの程度の規模の攻撃なら安心でき
る、というんだね?この点、是非とも説明が聞きたいのだが。」参謀総長も国防長官も、大
統領の質問に答える術をもっていなかった。巨人の、これまでの行動からして、あれ以上
のサイズに巨大化できるであろう事は明らかだと思えた。第一、どのようなメカニズムで
巨大化しているのかすら、全く掴めていなかった。
 部下の統合参謀長始め、米軍首脳の誰もが日本の自衛隊を、小馬鹿にしていた。対応の
幼稚さに、実戦経験がない軍隊はこれだから、と嘲っていた。だが、実は我々も彼らと同
じ過ちを犯そうとしていたことに、アメリカ軍の首脳達は事ここにいたってやっと気が付
いたのだった。
 日本の犯した過ちとは、巨人の潜在力について、全く無知のまま攻撃を仕掛けたことだ
った。それと全く同じミスを、よりによってこのオレが犯すとは。国防長官は、心中密か
に、ほぞをかんだ。
 「なるほど。つまり、その点は全くの不明、ということか。」大統領は、改めてソファー
に深く身を沈めた。
 「では、今君たちから説明があった攻撃計画については、100パーセント確実なもので
はないことを、認めなければならないわけだ。」ふう、と思わずため息をついてしまった大
統領は、驚いたように一瞬目をむいた。ため息をついたことなど、五年前に初めて大統領
選挙に出馬してからこの方、ついぞなかったことだからだ。つまり、それだけ追いつめら
れている、ということか。大統領は思わず苦笑を顔に浮かべた。
 「なんて事だ。たった一人の巨人相手に、我が世界最強の合衆国軍が手も足も出ないと
はね。こんな事が表沙汰になったら、国民は私をよってたかって縛り首にしようとするだ
ろうね。」大統領の、どこかぎしぎしと軋むような笑い声を聞いて、その部屋にいた全員が、
思わず反論しようとした。そして、自分には進言すべき代案など全くないことを思い出し
て、気まずそうに口をつぐむのだった。全く、なんて忌々しい巨人だ。誰もが胸の奥で苦
虫をかみつぶし、その背後の微かな恐怖が心の奥底をはい回るのを瞬時感じる。しばしの
間、その場を沈黙が支配した。
「だが」不意に、大統領が言葉をついだ。若い大統領が政界に入って以来、長いつきあい
のあった国務長官は、そうした声の変化が、普段は滅多に見せない何か重大な決断をする
時の予兆であることを知っていた。
「例え私を縛り首にしようとする国民であっても、私は彼らの生命と財産を守らなくては
ならない。少なくとも宣誓したところの私の義務は、そうなってる。」そう言うと、大統領
は一同の顔を眺め回した。
「確実な攻撃方法は見つからず、かといって交渉の余地もない。と、すれば」ひょい、と
肩をすくめて見せる。
「あと残っている手は、降伏ということになるわけかな?」一瞬の沈黙、続いてその場の
人間が一斉に口を開いた。
「いけません、大統領」
「国民を、いえ、全人類を裏切るおつもりですか」
「あの巨人に降伏するということは、これまで我々が作り上げてきた全ての政治経済シス
テムを捨てるという」
「ではどうすればいいというのかね。」大統領が声を荒げ、皆は沈黙した。
「いろいろ言いたいことがあるようだが、私の質問には誰もまともには答えられないのか。
これだけ優秀な、この国のトップが集まっている会議で。私だって降伏などしたくない。
そんなことは論外だ。私には、この国を維持しなければならない責任があるんだからね。」
大統領は、一瞬息を継いだ。
「だが、このままでは無駄な犠牲ばかりで、結局力ずくであの巨人に征服されるのを見て
いるだけ、になってしまうだろう。私が述べているのは反論なんかじゃない。真剣な質問
だ。さあ、大統領として、私はどうすればいい?」
国防長官は、思わず唇を噛んだ。くそっ、大統領のいうことは正論だ。本当に、一体どう
すればいいんだ。突破口の一つもないのか。周囲をそっと見回す。どの閣僚の表情も、彼
と似たり寄ったりだった。
だが、突破口は、突然開かれた。


救命胴衣一つで、ジャンはもう五時間近くも波間を漂っていた。だが、時間の感覚など、
とうになくしている。それどころか、意識すらハッキリしていなかった。彼の心の中は、
三十メートル近い大波に揉まれながら目撃した、立ち去っていく亜里沙の姿に覆い尽くさ
れていたのだ。
 下着を脱ぎ去り、まぶしいほどの全裸になった亜里沙は、彼女の腿までしかない水深の
海を、ゆっくりと歩き去っていった。背後の海上で見上げるジャンには、亜里沙の美しい
裸身を、余すところなく全て見る事が出来た。海面を割って動くたくましい太股の間の水
面に、いくつかの水柱が立っているのに気が付いた。何かが亜里沙の股間から、海面に向
かって落下している。一つではない。三つ、四つ、五つ。全部で五つの、黒っぽく丸い固
まりが落ちてきた。一体なんだろう。
 その時のジャンには、その固まりが太平洋艦隊に先行し、亜里沙と最初に接触した、原
子力潜水艦であることなど、わかるはずもなかった。彼にわかっているのは、彼の命は亜
里沙によって救われた、ということだけだった。
 自分の落とし物に全く気付いた様子もなく、亜里沙は大股で立ち去っていった。あっと
いう間に水平線の向こうに消えていった。ジャンの心の中に、どういうわけか切なさのよ
うな感情がわき上がったのは、その時だった。切ない?一体何が。オレは一体どうしてし
まったんだ?ハッキリしたり、ぼやけたり。ジャンの心は、半分無意識の海を漂っていた。


 彼のパラシュートが絡みついている髪の毛が、風によって亜里沙の顔の前に流された時
の恐怖は、その場面が心によみがえるたびに唇ががたがたと震え出すほどだった。その瞬
間まで、ジャンにとっての亜里沙は、恐怖すべき存在だった。
 だが、亜里沙は彼に気が付くと、あり得ないほどの器用さを発揮した。爪の先を使って、
彼のパラシュートを自分の髪の毛から外し、そのまま足元の海面にそっと下ろしたのだ。
自分がなぜ生きているのか、彼女がなぜ自分を殺さなかったのか、ジャンには全くわから
なかった。ただ、一つだけ気になるのは、巨人の、あの目だ。
 彼女の髪が顔の前に流され、オレの存在が気付かれた時の、あの目。なんなんだろう、
あの目が、彼女の瞳が浮かべていた表情は。憎しみとか憎悪とか、そういうのじゃない。
哀れみ?そうも見える。だけど、それも違うような気がする。もっと、もっと別の表情だ。
そこまで考えた時、ジャンは自分の心の中から亜里沙への恐怖が次第になくなっていくの
に気が付いた。あれほどの存在を、怖がってどうする。あの巨人は、あの少女は、オレに
とってあの存在は。
 ジャンの思考を、遠くから聞こえてきた救難ヘリコプターの爆音が遮った。あれは、ど
こから飛んできたんだ?グァムか?それとも救難艦か?どうでもイイや。とにかく助かっ
た。それだけは確かだ。
 まもなくジャンは、着水した救難ヘリコプターに救助された。機内に上がったジャンは
そのまま気を失い、次に気が付いたのはグァムの米軍病院だった。彼はそこで、太平洋艦
隊の生存者が、彼だけであった事を知った。

 「大統領、我々には、まだあの巨人に対抗する手段が残されていると、私は考えます。」
部屋の隅に、目立たないように座っていた初老の男が不意に、その立場に似合わぬ、控え
めな声で発言した。静まりかえった部屋にいた全員が、そちらをふり向いた。
「CIA長官、何か提案が?」国防長官が、しがみつかんばかりに尋ねる。何でもいい、
あの巨人を倒す方法があるなら、例え相手がキツネのように狡猾だという定評のあるCI
A長官でも構わなかった。巨人を倒す方法さえ見つかればいい。
 なんとしてでも軍がまだ役に立つ存在であることを、軍縮論者である大統領に示さなけ
ればならない立場に、国防長官は置かれていたのだった。
 CIA長官は、大統領に向き直って発言を続けた。
「大統領、我々は極秘に、日本の自衛隊に送り込んでいた工作員を使い、あの巨人の体組
織及び体液のサンプルを入手しています。我々のスタッフは、そこから様々なことをつか
みました。」室内のそこここから、一斉に驚きの声があがった。
「ちょっと待ってくれ。今、なんて言った?」国務長官が、思わず身を乗り出す。
「彼女の体組織、だって?それは一体、どこの部分をどうやって」
「平たく言えば、体毛の一部です。この部屋には女性もいらっしゃるので、やや口にしに
くいんですが、つまり、その、陰毛ですね。」さすがに最後の部分は言いにくかったらしい。
日頃ポーカーフェイスとして知られるCIA長官も、このときわずかに視線を泳がした。
居心地悪そうに、ソファーの上で軽く身じろぎをする。
「陰毛だって?」今度は国防長官が口を開いた。
「そうです。東京壊滅前夜、自衛隊は地面の上にあの巨人をワイヤーで固定しようとしま
した。寝ている彼女の体の上で、一晩がかりで作業をしたわけです。その作業隊の中に、
我々は日系二世の工作員を潜り込ましたのです。彼は、大胆にも巨人の下着の中に潜り込
んで、体毛を採取しました。」そう言って、CIA長官は傍らの大統領補佐官を見やった。
「ゴンザレス補佐官、頼むからこれをセクハラととらないでくれたまえよ。」
「わかっています。」仕立てのいいスーツを上品に着こなした、かなりの美人と言っていい
女性補佐官は、薄笑いを浮かべた。
「むしろ、そういうことを気になさりすぎる方が、問題ではないかと思いますが。」
その場の全員が、控えめな笑い声をあげた。大胆不敵な工作員による、信じられないよう
な冒険噺が、合衆国首脳達に微かながら元気を取り戻したようだった。
「しかし」大統領が首を振りながら言う。
「よくもまあそこまで大胆なことが出来たものだ。彼が得た情報が役に立つものであれば、
勲章ものの殊勲だが。で、その体組織とやらから、どういう事がわかったというんだね?」
CIA長官は、ブリーフケースから書類の束をとりだした。
「問題の体組織は、その日の内に横須賀の我が軍基地に運び込まれ、そのままグァムを経
て、八時間後には我々の研究室に届きました。私は、最優秀のスタッフを動員して、直ち
に研究を始めさせました。で、わかったことですが」眼鏡をかけ、一枚の書類に目を落す。
「彼女の体組織は、我々人間と何ら変わりがありません。あれだけの巨体が、人間と同一
構造の細胞によって支える事など、不可能のはずなんですが、とにかく体細胞の大きさを
含めて、きわめてノーマルな細胞構造です。」
「大きさも含めて、とは?」
「サンプル回収時点での彼女は、推定で約二百倍に巨大化していました。しかし、採取し
たサンプルの細胞は、我々のそれと同じ、通常の大きさだったわけです。工作員の報告で
は、彼女の肌は異常になめらかだったそうですが、細胞の大きさが同じであれば、納得で
きる話ではあります。」「その体毛は、翌日どうなったのだろう。」国務長官が尋ねた。
「翌朝、彼女はさらに二倍の大きさに巨大化したはずだが、体毛には変化なし、かね?」
「はい。どうやら、彼女の体を離れたものは、巨大化には連動しないようですね。」CIA
長官は書類から目を上げた。
「そこも、実は大事な点なのですが。」全員が、よくわからない、という表情を浮かべた。
「続けてくれたまえ」大統領が促した。
「はい。結論から言わせていただくと、あの巨人には、通常兵器、及び核兵器のいずれも
全く無効であろうと思われます。」
「なにい」ワルツェンハイマーが大声を上げた。
「き、君は、さっきまだ対抗手段があるといわなかったか?」だが、それに構わず、CI
A長官は発言を続けた。
「はい。そういいました。しかし、たとえ核であろうと、所謂兵器のたぐいはおそらく無
効です。しかし、攻撃方法は存在する。それも間違いありません。どういう事か、ご説明
します。」長官の合図で、彼のスタッフが資料を配付し始めた。
「先ほども説明した通り、彼女の体細胞は、ノーマルの細胞と何ら変わりありません。つ
まり、人間と同様の細胞で出来た体組織が、あれだけの巨体を構成しているわけです。こ
れは、どう考えてもあり得ません。」CIA長官は、再び書類に目を落した。ややずれた眼
鏡をかけなおす。
「そこから導かれる結論は、あの巨人を支えているのは、我々の知らない未知の力である、
ということです。この考えをもとに、衛星と偵察機からもたらされた、我が太平洋艦隊及
び日本の自衛隊との交戦のビデオを分析し直しました。」再び合図を出す。部屋が暗くなり、
壁のスクリーンに映像が映った。亜里沙との、戦闘シーンのビデオが写った。
「砲弾、及び爆弾が命中する所にご注目ください。画質を調整した上でスロー再生にして
あるので、わかりやすいかと思います。」
人々は、食い入るように画面を見つめた。そして全員が等しく気が付いた。
「ご覧のように、命中寸前に、巨人の皮膚すれすれのところで青白い閃光が発生していま
す。時間を千倍にしてあるので、やっとわかる程度ですが。この閃光状の現象によって、
爆発エネルギーも、砲弾の運動エネルギーも、巨人の体には実際届いていないのではない
かと思われます。この閃光は、一種の力場のようなものであって、それがあの巨人を我々
の攻撃から守っているのだと、我々は結論しました。」ビデオの再生が終わり、部屋が明る
くなった。
「同様の力場が、あの巨人の巨体を支えていると考えられます。推測ではありますが、体
細胞の分析結果から、他に筋の通った説明はできません。」
「では」大統領が口を開いた。
「はい。先ほど申し上げた、通常兵器も核兵器も一切無効であろう、という推測は、今お
見せした現象から導かれたものです。」
「しかし、有効な攻撃方法もある、とも言ったね。」国務長官が落ち着いた声で尋ねた。「そ
の通りです。」CIA長官は、ここで笑みを浮かべた。
「ポイントは、あの巨人の体細胞が我々と同様のものである、という点です。」
「というと?そうか、例えば毒ガスや細菌兵器などが有効だろう、ということかね?」ワ
ルツェンハイマーが身を乗り出す。他の閣僚達は、あからさまにイヤな顔をした。公式に
は、アメリカはそうした兵器を保有していないことになっているからだ。だが、勢い込ん
だ国防長官を、CIA長官は軽くいなした。
「そうではありません。一つ指摘しますが、これらの力場にしろ巨大化現象にしろ、偶然
の産物などではあり得ない、ということです。これは明らかに、何らかの意図がはたらい
ていると見るべきです。」
「だがそんな」補佐官の一人が口を開きかけた。
「そうです。こんな事は、我々人類には不可能です。だが、現実にそれは目の前に存在す
る。それによって、我が国の一個艦隊が文字通り全滅しました。見たくなかろうとどうだ
ろうと、証拠は我々の目の前に転がっているのです。」
「長官、君が言いたいのはつまり、これは宇宙人か何かの仕業だということかね?」非現
実的な言葉の内容とは裏腹に、大統領の声は真剣そのものだった。
「残念ですが、そう考えざるを得ません。それが、一番筋の通った説明になるのですから。
我々に干渉しつつある何者か、その意図は全く不明ですが、これは人類を遙かに越えた存
在の、人類に対する明らかな干渉行動です。」
「では、当然毒ガスや細菌に対しても、当然あの巨人は防御されている、と見なくてはな
らないということだね?」国務長官が言葉をついだ。
「BC兵器は、巨人の防御システムに明らかな攻撃ととられるでしょう。生体にとって、
これ以上ないほど有毒なのですからね。そう考える方が、安全です。次の戦闘は、合衆国
の本土になるわけですから、慎重に構えるべきだと考えます。」
「では、どうしろというんだ?核もダメ、毒ガスも細菌もダメ、では、攻撃方法がないで
はないか。」ワルツェンハイマーは再び声を荒げた。いつもの冷静さを、失いつつある。
「要は、攻撃だと見なされなければいいのです。」CIA長官は、静かに言った。
「先ほども言ったように、あの巨人の細胞組織は我々と同一です。つまり、代謝を行うし、
増殖もする、ということです。もっとも、増殖については、巨大化と絡めてあれこれとメ
カニズムがありそうですが。」そう言うと、彼は手元の資料をめくった。
「体組織の一部から、生きた細胞が見つかったため、我々のスタッフは組織培養を試みま
した。結果、ごくごく普通に細胞は増殖しました。顕微鏡で分裂の過程を追いましたが、
全くノーマルな細胞分裂をしています。ただ、一つだけ、注目すべき点が見つかりました。」
全員が固唾を呑む。いよいよ核心に迫ったことが理解されたからだ。
「分裂前後の細胞を比較した所、ごく一部にですが、わずかな変異が見られました。おわ
かりでしょうか。つまり、遺伝子の複製の過程で、不完全なコピーが行われることがある、
ということです。つまり」
「あの巨大少女は、ガンになることもある、そういうことかね?」大統領が、控えめな声
で言葉をついだ。
「その通りです。」やや驚いたような表情を浮かべて、CIA長官が応えた。
「人間の体は、骨ならば約二年で全て新品に入れ替わるほど、細胞分裂を繰り返していま
す。その課程で、ごくたまに不完全なコピーが行われることにより、人間はガンになりま
す。この点、あの巨人もその例外ではなかった、ということです。」
 CIA長官がそこまで言った時、ワルツェンハイマーの怒声が響いた。
「バカバカしい!するとなにかね?CIA長官ともあろう人が、あの巨人がガンになるの
を待てばいい、とでも言うのかね。我々は一体何年待てばいいんだ?それが有効な対抗手
段なのかね!」
「待ちたまえ、国防長官。説明はまだ先があるようだよ?そうだろう?レイモンド長官。」
「おっしゃる通りです、大統領。国防長官、あと少しだけ、我慢しておつきあい願いたい。」
CIA長官は、再び資料をめくった。
「人間が自然にガンになるのを待つのは、国防長官のおっしゃる通り無意味です。しかし、
ガンを人工的に起こすことは、実際問題として可能です。ある種のウィルスはガンを引き
起こしますし、食品添加物でも同様の効果を持つモノはあります。添加物でなくとも、例
えば日本人がよく食べるという焼き魚の焦げた部分などは、発ガン性をもっています。我々
は、この点に注目しました。あの巨人は、代謝を行う細胞をもっている以上、食事をする
はずです。あるいは、食べたものを消化吸収する能力を持っているはずです。事実、東京
で彼女は食事をしています。」その内容については、ごく一部の者しか知らない極秘事項の
はずだった。人間を食べたなど、訓練されていない人間にとっては、ショックが大きすぎ
るからだ。
「我々は、要人の暗殺用に、極秘のうちにきわめて強力な発ガン性物質を開発しています。
これは、いかなる方法で検査しても、タダの食品として認識される物質で作られています。
 生体内では、消化活動などに伴う複雑な化学的処理が行われますが、我々が開発したそ
れは、消化の過程で強力な発ガン物質に変化するのです。この変化は、細胞内に取り込ま
れたあとで起こるので、巨人の防御システムでも攻撃とは捉えられず、従って防御するこ
とも出来ないだろう、と思われます。」レイモンド長官は、資料の続きに目を通した。
「この発ガン性物質の効果は、摂取後ほぼ十時間ほどで現れます。その発ガン性は、プル
トニウムの約一万倍で、これはつまり確実にガンを引き起こす、ということを意味します。
また、発生したガンの進行は、通常のガンに比べて遙かに早く、わずか24時間で標的を
重篤状態に陥らせます。相手がどれほどの巨体であろうとも、摂取量さえ確保できれば、
二日足らずの内にガンで殺すことが出来るでしょう。」
 一同の喉から、ため息が漏れた。CIA長官の説明が、きわめて説得力のあるものだっ
たからだ。
「だがレイ、それをどうやって、その、彼女に摂取させるのだね?」国務長官が尋ねた。
「それは、私よりも国防長官に尋ねた方がいいでしょうね。そうでしょう?国防長官。」
そうさ、その通りだ。ワルツェンハイマーは、思わずにやりと笑っていた。そういうこと
にかけては、私のスタッフも配下の軍も、きわめて有能だからな。大統領、どうか、我が
軍をお見捨てないように。

 11 女神

 再び四百倍の巨人に「縮小」した亜里沙は、太平洋の水底を、合衆国に向かって泳ぎ続
けていた。あれだけの警告で、人間達は理解できたかしら。人間など、大自然の前では取
るに足りない小さな存在である、ということが理解できたかどうか。亜里沙には、その点
自信がなかった。だが、やらなければならない。私は、そのための存在なのだ。
 亜里沙は、力強く水をかきつづけた。自分の未来にどんなことが待ち受けているのか、
まるでわからない。だが、自分の使命だけは忘れるつもりはなかった。もちろん、そこか
ら逃げ出すつもりもなかった。わたしは、女神としてこの星に君臨しなければならない。
それが、人類と地球を救う唯一の道なのだから。
 高速で泳ぐ亜里沙の耳に、再びクジラの歌が聞こえた。だが、今や亜里沙には、それが
クジラの歌などではないことが、よくわかっていた。亜里沙は、地球の声そのものを聞い
ていた。その声が、この次の闘いこそが、最後の決戦となるであろう事を告げていた。