「ミスターサタンとセルが同じ教室で勉強してるような大学でコンプレックスとか気にしてたら病気になるに決まってる」とは優秀な先輩の至言です。ドラゴンボールを知らない人に説明すると、ミスターサタンは世界トップクラスの男性格闘家です。瓦割りしたり電話帳引き千切ったりといったパフォーマンスが出来るほどの実力があり、自信に満ちた態度で敵なしと言った安定感のある人物像には女性ファンも多いです。
一方でセルは最新鋭のバイオテクノロジーを駆使して生み出された人造人間です。作中に出てくる強い格闘家たち(悟空、ベジータ、ピッコロ)の細胞をこっそり採取培養して作られた生命体であり、彼らの強力な技を同じように使うことができます。誕生時点で強い格闘家数人分の実力がある訳です。チートですね。
セルはミスターサタンと同じく自分の強さに圧倒的な自信を持っていますが、ミスター・サタンと違うのは新しい戦闘スタイルを持つ相手と対峙した場合には冷静な分析を通して自らの戦闘法を進化改良させる点にあります。また作中ではセルが対戦用コロシアムのリングを作るシーンがありますが、その際にも切り出す石の材質を基準に土地を選ぶなどPetrology(岩石学)の知識も豊富であり、顕示しないが様々な教養を持っていることが伺えます。
しかも、ベジータのファイナルフラッシュで右半身が吹っ飛んだときには、ワザともだえ苦しむ振りをしたあとに「なんちゃって」と再生させるなどアドリブでのユーモアセンスにも長けており、おまけにイケメンでアニメ版の声優は若本規夫と来ています。
前述のリング上でセルはミスターサタンと戦うことになるのですが、連打をしているサタンに対してセルは眉一つ動かさずに岩に叩きつけて終了です。
質問から察する限り、あなたはセルかサタンで言えばサタン側に居るのだと思います。違いは自信がないことぐらいですかね(苦笑) きっと人間界での実力としては相当のものがあるのでしょうし、コミュニティによっては欠かせない存在や英雄の名誉を謳歌できる位置にいるのだと思います。でも残念、この大学には宇宙人や人造人間が多数居るのでした。名誉教授の孫や帰国子女で起業家の娘、既にWikipediaでページが出来ている人など化け物ばかりです。そんな人たちとまともに比較したら多角的に惨めに感じるに決まってます。
考えられる処方箋の1つ目は特化して努力することです。
全ての面で彼らを超えるのは無理です。諦めて下さい。それはブートキャンプではなくて親、出生地、習慣選びから抜本的に対策しないと無理です。元東大総長の蓮見氏が書いた『反=日本語論』とかにはもう圧倒的な教育格差が書かれています。子供の教育計画にでも託して下さい。
さて、何かの面で彼らを超えることは余裕で可能です。
ある程度知能のある人たちに共通することがあって、それは「何かをばっさりと切り捨てている」ことです。選択と集中の重要さを子供のときから知っているか、もしくは自分が快適だと思う空間を一度作ってしまったためにそこから抜けられないのかは不明ですが、特定分野の博学が特定の重要な常識に全くの無知であることはかなり多く観測されます。
もちろん無知な分野が恋愛とか公的手続とかそういう元々争っていた分野とかけ離れている場合は勝っても意味がありませんが(それでも自信は付くかもしれませんし、相手は引け目を感じたりあなたに頼るようになるかもしれませんね)、例えば経済でも計量経済的な知識がごっそり抜けていたり、他国の教科書を全く使ったことがないせいで情報源が不足していたり、どの教授の論文がどの分野を作ったのかなどの研究者データベースを知らなかったりすることはありそうです。またはガンガン自習するタイプの子である場合は、教授とのコネクションが手薄であることも考えられます。
ミスターサタンは実は、作品の最後でかけがえのない存在となります。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、ミスターサタンはセルや他の登場人物には全くない競合優位性が実は存在しており、その優位性を活かして他の誰でもなく彼が居なければできなかったことを成し遂げて、世界を救うことになります。
大学が自習者の総合以上のものである理由の一つは、予想外のところで予想外の役立ち方をする人間ネットワークというものが確かに19世紀の古典文献学ゼミナール以降の歴史のなかで何百回何千回と観測されてきたからでしょう。
ただのサタンではなく、そんなミスターサタンを目指すのは良い中期目標かもしれません。
2つ目は諦めることです。