Monday 14 October 2013

JR福知山線脱線事故の運転士:高見隆二郎

http://en.wikipedia.org/wiki/Amagasaki_rail_crash
Investigators have focused on speeding by the twenty-three-year-old driver, Ryūjirō Takami (who was among the dead), as being the most likely cause of the accident. The driver had passed by a red light, 25 minutes before the disaster, and been brought to a halt by an Automatic Train Stop system (ATS).[2] The train had also overshot the correct stopping position at an earlier stop at Itami Station, requiring the train to reverse, and resulting in a 90-second delay,[1] about 4 minutes before the disaster.[2] By the time the train passed Tsukaguchi Station, the delay had been reduced to 60 seconds.[1]

http://what-topics.blog.so-net.ne.jp/2013-04-25-1

JR福知山線脱線事故 運転士の名前は 先頭車両は


JR福知山線脱線事故は、2005年4月25日、福知山線の塚口駅から尼崎駅の間で起きた大規模な死亡者が出た脱線事故。当時、その脱線した列車を運転していた運転士は、2000年にJR西日本に入社した運転経験も浅い、まだ当時23歳の若者であった。

事故報道の後、「先頭車両(1両目)は乗らないようにしよう。」と思って、
暫くは、そのように実践していたが、
いつしか、お構いなしに平気で、先頭車両(1両目)に乗っている。(笑い)

脱線事故から8年経った今も、事故を鮮明に覚えている。
事故発生時刻は、午前9時18分。

脱線事故を起こした彼が、最初に配属先となったのは、長尾駅。
1年半ほど働いた後で、
天王寺車掌区で、3年弱、車掌を務めた。
運転士になったのは、事故から1年前の2004年のことある。

運転士としての経歴は、いたって普通の経歴である。
しかし、彼は、40km/h以上の速度オーバーでカーブに進入して、
曲がり切れずに、脱線してしまった。

その結果、106名という尊い命が、一瞬で失われた。
当時のニュースで、あの大きな車体がグニャっと曲がってしまい、
沿線のマンション駐車場部分に先頭車両が、
頭から突っ込んでいる痛ましい様子が、
映し出されていた。

その異様な光景は、今でも、目に浮かんでくる。

自らも犠牲となった運転士の名前は「高見隆二朗/高見隆二郎」
痛ましい事故の後、一斉に報道が行われた。

今現在、事故現場となったカーブは、とてもゆっくりと走っている。
同じ場所で、同じ事故が起こるのは避けたいのだろう。
これ以上、事故が起こっても困るんだけど。

1年に1回、毎年、JR福知山線脱線事故の報道が行われ、
記憶を呼び戻してくれる。
事故の教訓を活かして、今後、事故ゼロとなって欲しいものだ。

http://homepage1.nifty.com/asunarogakuen/tsushin1709.htm
5月

桜の花もあっという間に母なる大地に帰り、我が家の牡丹も散り果て隣家の藤の花房も色褪せてきました。今は、さつき・つつじが繚乱の 季節、そして、新緑の季節、薫風の季節となりました。一年のうちでもっとも快適な月となり、爽快な気分になります。ご挨拶が遅れましたがご子弟の進級、進 学おめでとうございます。新学期を迎えて気分一新、今学年も頑張ろうの意気込みを固めてくれていることと思います。引き続いての通塾、また新たにご入園に 対し、心から厚く御礼申し上げます。誠意と熱意を持って指導させていただきますので、以後ご厚誼のほどよろしくお願いいたします。
今ニュースでは連日福知山線の列車転覆事故のことを報じています。本当に大惨事で遺族の方々は身内の死に悲痛な思いをしていらっしゃいます。運転士の高見 隆二郎君23歳も気の毒だったといえば非難されるでしょうか。彼の中学生のときの作文「14歳の決意」の中で「将来、世の中で役に立つ人間になりたい」と 書いていました。