Friday 9 February 2018

あまりに不自然だった「杉原千畝ブーム」――馬渕睦夫さん - 電脳筆写『 心超臨界 』 ORIGINAL


電脳筆写『 心超臨界 』

可能性の限界はそれをのり越えて
不可能の領域に入ることによって定まる
( アーサー・C・クラーク )

あまりに不自然だった「杉原千畝ブーム」――馬渕睦夫さん

2014-11-04 | 200-歴史・文化・社会
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【 渡部昇一&馬渕睦夫、飛鳥新社 (2014/3/1)、p158 】

【馬渕】 私がユダヤ問題に興味を持ったきっかけの一つは、イスラエル在勤中に「杉原千畝の命のビザ」旋風が突然、日本とイスラエルに吹き荒れたことでした。1940年の第二次大戦中に、リトアニアのカウナス日本領事代理だった杉原氏が、(1)日本政府の命令に背いて日本通過ビザを発給したおかげで、6千人のユダヤ人が生き延びることができたが、(2)杉原氏は訓令違反によって終戦直後、外務省を解雇されたという物語です。しかし調べてみると、二点とも、事実に反していることがわかりました。

当時の日本外務省の杉原宛訓令電報では、日本通過ビザ発給には最終目的地の入国ビザを持っていること、および最終地までの旅行中の生活を支え得る資金を保持していることの二点が条件でした。これらは通過ビザの性格上よくある条件で、日本政府がビザ発給を拒否したわけではありません。また、杉原氏は戦後占領下で外交事務が激減したのに伴う人員整理の一環で1947年に退職し、退職金もその後の年金も支払われていますから、ビザ発給を理由にした解雇ではなかったのです。杉原氏はカウナス領事館閉鎖の後も順調に昇進し、1944年には日本政府から勲章(勲五等瑞宝章)まで授与されています。

ウソに基づく美談が作られ、マスコミがこぞって取り上げ、ドラマ化されたり、教科書の副読本になったりと、大フィーバーが起きました。杉原氏が、与えられた困難な状況の中で、日本政府の訓令に反しない範囲で人道的配慮を尽くしたことは賞賛されるべきですが、なぜ、日本政府がユダヤ人へのビザ発給を拒否したとの虚構が捏造されたのでしょうか。日本政府をどうしても反ユダヤの悪者に仕立て上げる筋書きがあったと勘繰られても仕方がありません。

【渡部】 杉原千畝がサインしても、日本政府が許可しなければ外国人は入国できませんから、政府の基本政策に反していなかったのは明らかでしょう。

【馬渕】 実務の観点からすれば、本国政府の訓令に反してビザを発給することは無意味です。なぜなら、本国の命令に反して不正に発給されたビザを持っていても、政府は必ず入国を拒否するからです。外国人の入国を認めるか否かは国家の独占的権限であり、領事館など出先機関の裁量に任されているのではありません。杉原氏もこれを当然知っており、ビザを発給できたのは、日本政府がOKしたからです。

しかし、真実を明らかにすると、杉原氏に与えられた「諸国民の中の正義の人」の顕彰に該当しなくなってしまう。この「正義の人」とは、自らの生命の危険を冒して人の命を救った人に与えられる賞であり、イスラエルのホロコースト記念館(ヤドバッシェム)から、杉原旋風の前の1985年にすでに贈られていたものです。

【渡部】 美談の形成に杉原一族は関わったのでしょう。

【馬渕】 結局、大きな流れに乗ってしまったのではないでしょうか。杉原夫人は、『六千人の命のビザ』(大正出版)という本を書いて、日本政府の命令に背いてビザを出したという虚構に便乗しました。

【渡部】 けしからんですね。クビになったのを恨んだのでしょうか。

【馬渕】 そのように言われますが、実際は、占領下で外交官が必要なくなってしまったために、大勢が人員整理されただけのことです。

【渡部】 外交権がなくなり、大使館も閉鎖されたわけですから。

【馬渕】 日本政府の命令に反して解雇されたのなら、勲章をもらうことなどあり得ません。

私が心配なのは、杉原氏をダシにして、日本政府は反ユダヤだったというウソが、今後も世界のメディアと日本のメディアに、繰り返し流される危険があることです。

2013年9月、ミュージカル「SEMPO 日本のシンドラー杉原千畝物語」が新国立劇場で再演されましたが、なぜこの時期なのか、気になります。TPPとのからみで、安倍政権にはやはり、陰に陽に大きな圧力がかかっているのではないか。杉原旋風は、日本がプラザ合意で円高を呑まされ、アメリカ資本の要求で日本市場を開放する日米構造協議が始まった時期と重なっていました。日本政府は悪者だというキャンペーンが、いつまた蒸し返されるかわからないのです。

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